鎖を打つ鍛冶の神は、ためらった

だが、火を渡したプロメテウスは、神々の王ゼウスの怒りを買う。『縛られたプロメテウス』は、彼が世界の果ての岩山へ引き立てられてくる場面から始まる。

両脇を固めるのは、「権力」を体現するクラトスと、「暴力」を体現するビアー。その後ろに、鍛冶の神ヘーパイストスが続く。ゼウスの命令で、プロメテウスを岩に縛りつけるためである。

ところが、鎖を打つ役目を負ったヘーパイストスは、なかなか槌を振るおうとしない。相手は縁ある神だからだ。彼は、このときばかりは自分の腕を恨めしく思うとまで嘆く。そこへクラトスが迫る。ゼウスの命令に背くことを恐れないのか、と。ためらう技術者と、執行を迫る権力。その間で、一本、また一本と鎖が打ち込まれていく。

この場面には、3つの役割が登場する。止めると決める者(ゼウス)、本当に止めたかを確かめて迫る者(クラトス)、そして技術で実際に鎖を組み込む者(ヘーパイストス)である。

注意したいのは、神話の鎖が、現代的な意味での安全装置として描かれているわけではないことだ。それは、神々の力を人間に渡した者への罰だった。だから、ゼウスを、人々の安全を守る政府に、そのまま重ねることはできない。それでも、力を持つものに誰がどう鎖をかけるのかという問いは、そのまま現代のAIに当てはまる。

ゼウスの像
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現代には「ゼウス」がいない

神話のゼウスは、一言で命じることができた。だが、現代のAIには、すべての企業と国家を一つの命令で従わせるゼウスはいない。

OpenAIがAstraを出さなかったのは、一社の判断である。アモデイ氏が業界全体の減速を求め、外部の評価者が社員と同じように開発の現場に入れる仕組みや、企業が共同で安全基準を定めるための制度づくりまで提案したのは、一社だけが速度を落としても、顧客も資金も研究者も競合へ流れてしまうからだ。止める判断を、競争相手と分け合う仕組みが要るのである。

国家が鎖を打った例もある。6月12日、米政府は国家安全保障を理由に、アンソロピックの最上位モデルについて外国籍者の利用を止める指示を出し、同社は全利用者への提供をいったん停止した。同社は指示に従いつつ、何億人もが使う商用モデルを止めるほどの理由ではないと異議を唱えた。規制は6月30日に解除され、7月1日に提供が再開された。止める権限があることと、その権限を適切な根拠で使うことは、別の問いなのである。

一方で、鎖のかけ方を細かく分ける動きも出てきた。アンソロピックは10月6日、サイバー防御の分野で高度なAIを使える利用者を、業務の内容に応じて3段階で審査する制度を広げた。すべてを止めるのではなく、守る仕事を担う相手には、条件をつけて渡す。火を消すか灯すかの二択から、誰に、どの範囲で渡すかへ――。鎖は、より細やかな仕組みに変わり始めている。