茶々との子作りは「あわよくば」
だが、秀吉に「子種がない」というのは世間の共通認識だったようで、フロイスは『日本史』に、茶々が産んだ鶴松についてこう書いている。〈彼(註・秀吉)には唯一人の息子(鶴松)がいるだけであったが、多くの者は、もとより彼には子種がなく、子供をつくる体質を欠いているから、その息子は彼の子供ではない、とひそかに信じていた〉。
ここまで見てきたように、秀吉が茶々を「別妻」、続いて「正妻」に迎え入れたのは、実子をもうけるためだったとは考えられない。「あわよくば」という気持ちはあったかもしれないが、無数の女性に囲まれた日常が、実子をもうけるための営みだったのに、子はほとんど産まれなかったのである。
実子云々より、かつての主君である織田家の血筋を身近に置いて、政権の正統性を担保するねらいのほうが大きかったと思われる。いずれにせよ、そんな状況下で茶々が秀吉の「実子」を産むという想定外が起きたことで、さまざまな歯車が狂い出したのであった。
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

