「8時だョ!全員集合」はなぜ面白かったのか。当時新人ADだった前TBSホールディングスグループ上席執行役員の園田憲氏は「全員集合はTBS内でも“地獄”と言われるほど“厳しい番組”だった。その番組の面白さを支えていたのは『6人目のドリフ』だった」という――。

※本稿は、園田憲『ドリフターズと全員集合から学んだ流儀』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。なお、記事内画像はイメージであり、本書の内容と直接的な関係はありません。

ザ・ドリフターズ 荒井注が退団、志村けんが加入会見
写真=共同通信社
ポーズをとるザ・ドリフターズのメンバー。荒井注(中央)、後列左からいかりや長介、志村けん、仲本工事、加藤茶、高木ブー=1974年3月11日、東京・赤坂

“地獄”の全員集合へ配属

「で、園田は“地獄の”全員集合です」

演出三部長のKさんが僕の所属先番組を制作局長に先のように告げると、取り巻きの偉いさん達がゲラゲラ笑った。他の3人の同期が「わくわく動物ランド」とか「ザ・チャンス」とか普通に紹介されたあと、最後のオチのように「地獄の全員集合」と紹介されたのだ。

どうやらエライことになった。入社して2カ月の研修の間に同期の噂でわかったことは、「全員集合」はヤバイということ。何かと破天荒な伝説も多く、最も“厳しい番組”として社内では有名だった。鈍感でおひとよしな僕でも、よくないニュースだということくらいは理解した。

学生時代、アングラの流れを引く小演劇に没頭していた僕は、舞台とか“笑い”には、自分なりのこだわりがあった。が、そんな学生特有の“根拠のない自信”は、その後初めて体験した「全員集合」の生本番で、すぐにふっとんでしまう。

そびえたつ巨大なセット。腹にズンズン響く生バンドの音。スタッフの怒号。演者の体を張ったコントとお客さんの大爆笑で、会場が揺れる。学生の小劇場芝居というマイナーの極致から、驚異的視聴率を取り続け「お化け番組」とまでいわれたドメジャーの世界。

その圧倒的な迫力に、右往左往しかできなかった自分は、「無力とはこういうことか」と思い知らされたのだ。

忙しすぎて記憶がないAD時代

全員集合の演出チームは総勢およそ15人。僕はチーフAD(舞台監督)の補助をやれ、と言われた。いうなればアシスタントADである。チーフADはある意味番組の要とも言うべき役割で、現場の進行や仕切りはもちろん、スタッフやタレントのスケジュール管理、入り時間の連絡、スタジオなどの押さえのトラフィック的な仕事など業務は多岐にわたる。

僕はその下で言われるがまま何でもやったが、忙しすぎて打たれすぎて(打つ=TBS用語で、「説諭、叱責、悪ガラミ」の総称)余り記憶がない(人の脳は、怒られすぎると途中からインプットをやめるようにできているのではないかと思う。だんだんと意識が遠のいていくのだ)。加えて、物理的に寝る時間がない。

24時間戦えますか? というCMがヒットするのは、この3年後のこと。今だから声を大にして言おう。「戦えるわけねえだろ!」

ということで、入ったばかりの頃は、ひたすら眠かった。