宮殿なら懸念をクリア
葬場殿の儀の場所が今回の報道にあった宮殿であれば、「お気持ち」で掲げた懸念事項をすべてクリアできる。
おそらく、天皇陛下や秋篠宮殿下もすでに同意されていることが、拝察できる。
「お気持ち」発表の翌年、平成26年(2014年)春から平成末にかけて、上皇陛下、天皇陛下、秋篠宮殿下による三者会談がほぼ毎月、宮内庁長官も陪席して行われた。そこでは、最も重要な皇位継承をはじめ、ご葬儀のあり方などのテーマについて、お三方の合意が図られたはずだ。
退位と火葬のつながり
ここで見逃せないのは、これから検討が進む葬儀の簡素化と、先に発表があった陵の縮小、火葬の復活が、すでに行われたご退位と体系的につながっているという事実だ。
たとえば上皇のご葬儀であれば、大規模だった「天皇のご葬儀」の前例に縛られる程度が軽くなる。その結果、簡素化に取り組みやすくなるという点で、ご退位とご葬儀の簡素化はつながる。
退位特例法では、上皇も「喪儀及び陵墓については、天皇の例による」(第3条第3項)とする。だが、その解釈と運用については当然、当事者のお気持ちが尊重されるはずだ。
火葬についても、前近代において、飛鳥時代の持統天皇から火葬が始まり、江戸時代の後光明天皇のときに土葬が復活するまで、もちろん例外はあっても「天皇として崩御された場合は土葬」「上皇として崩御された場合は火葬」という大まかな慣行があった。だから、ご退位は火葬の復活とうまく合致する。
ちなみに前近代では、皇位の継承は明治の皇室典範以降、除外されてしまった「退位」(譲位)によるのが標準的なあり方だった。
「簡素な葬儀」という伝統
そもそも、飛鳥時代に宮中で蘇我入鹿が殺害され、それが蘇我本宗家の滅亡を導くという事件(乙巳の変、645年)にともなって、皇極天皇がハプニング的に退位を余儀なくされた事例を除き、天皇が自らの意思によって退位されたのは、持統天皇の時がはじめだった。その持統天皇が、皇位継承者としてはじめて火葬されている。こうした事実からも、「退位」と「火葬」はその起こりからつながっている。
しかも、持統天皇は崩御に際して、手厚い葬儀(厚葬)ではなく、簡素な葬儀(薄葬)を命じる遺詔をのこされた(『続日本紀』大宝2年[702年]12月22日条)。
上皇陛下が熟慮の末に打ち出された退位→火葬→薄葬(葬儀の簡素化)は、その歴史的な起源からすでに深くつながっていた。
とくに薄葬は、平安時代以降、天皇または上皇が崩御に際して、葬儀や関連行事などの簡素化を望む遺言をのこし、それを次の天皇に報告するという手順(遺詔の奏)が、「恒例の儀式として定着」していた(岡田荘司氏「天皇葬喪の沿革」『歴史手帖』平成元年[1989年]2月号)。つまり退位→火葬→薄葬こそ、前近代では伝統的なあり方だったと言える。
