脳の老化を防ぐのに、難しい脳トレは必要ない。日常の行動を工夫するだけで、衰えに抵抗できる。いつまでも若い脳でいるために今日できる新習慣を、脳科学者が教える。

ワーキングメモリを鍛えて記憶力を強化

買い物にも脳を使う場面が眠っています。普段の買い物で、商品を買い物かごに入れていき、レジではじめて合計金額を知るという人も多いと思います。脳を鍛えたいのなら、商品をかごに入れる際、ひとつひとつ金額を計算し、合計がいくらになるのかを暗算する習慣をつけることをおすすめします。

これはワーキングメモリを使う作業で、記憶力機能の低下を防ぐ効果があります。短期記憶とも呼ばれることもありますが、記憶をいくつ保持して処理できるかという能力のことです。わかりやすい例を挙げてみましょう。「コアラ」を反対から言ってみてください。「ラアコ」ですね。では「コアラ」「車(クルマ)」を順に反対から言えるでしょうか。「マルク」「ラアコ」。これができるのは、2つの単語を頭の中に保持したまま、順番を入れ替える操作ができているからです。3つ、4つと増えると、だんだん難しくなります。保持できる数が多い人ほど、容量が大きいということになります。

ちなみにこの力は、文章を読むときにも使われています。前に書いてあったことを保持しながら読み進めるからこそ、話の筋が追える。もし前の文をどんどん忘れていったらどうでしょう。何も残りません。読み終わったという感覚だけが残る。文章が読めない子供は、ここが弱いことが多いのです。

買い物の暗算に話を戻しましょう。例えば150円、230円と足していくと、ずっと数字を頭に保持し続けている。まさにワーキングメモリの訓練です。何も考えずにレジに行って800円ですと言われるのに比べれば、負荷のかかり方がまるで違います。認知的な負荷がかかるほど、脳に刺激が与えられます。とはいえ暗算が苦手な方もいるでしょう。その場合は合計まで出さなくても構いません。値段を覚えておくだけでも、保持する力は使っています。今日は3品だけ覚えておこう、というところから始めれば十分です。

もう一段階、脳に負荷をかける方法があります。私がよくやるのは、金額を先に決めてしまうことです。商品券が1000円分あるとします。お釣りが出ないので、できるだけぴったり使い切ると思って商品を選んでいくと、脳は段取りをしながら計算していきます。商品券でなくても構いません。1500円までと自分で決めて、その範囲でやりくりする。ゲームのような感覚になります。このときに行っているのは暗算だけではありません。何を先に選ぶか、どれを削るか。工程を把握して優先順位を決める、実行機能という働きが加わります。これは前頭前野が担っていて、掃除でどこから手をつけるかを考えるのと同じ場所です。気づいた場所から掃除を始める人と、動線を決めてから始める人がいますが、後者は段取りを組み立てているわけです。

一方で、いまは便利になりました。クレジットカードや電子決済が普及して、現金を持たない方も増えています。これが認知機能に影響しているかというと、少なからずしていると私は思います。考える場面が減っているからです。残高を意識せずに支払えて、使った分も後から確認すればいいので頭の中で計算する必要がなくなります。もちろん常に現金で払うべきとは思いません。便利なものは使えばいい。ただ、使う場面が減っている自覚は持っておいたほうがいいでしょう。現金を使わなくても、合計だけは自分で計算してみる。それで十分です。負荷を一つ足すかどうかの違いです。ワーキングメモリは、年齢に関係なく鍛えられます。

西 剛志 Takeyuki Nishi
脳科学者(工学博士)、分子生物学者。東京工業大学大学院生命情報専攻修了。2002年に博士号を取得後、知的財産研究所、特許庁を経て、08年、うまくいく人とそうでない人の違いを研究する会社を設立。講演やメディアを通じ、脳科学の知見を平易に伝える。著書に『80歳でも脳が老化しない人がやっていること』(アスコム)など。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2026年10月2日号)の一部を再編集したものです。