関係者が「大成功」と胸を張るワケ
その後、戦後の経済復興や新幹線の開通で八重洲も恩恵を受けることとなったが、丸の内のようなオフィス街ではなく、雑居ビルが立ち並ぶ繁華街として独自の発展を遂げた。丸の内や日本橋で働くサラリーマンの飲み屋街として愛された八重洲だが、小規模な商店がそれぞれに雑居ビルを建てた繁華街であったことは、権利関係の複雑化を招いた。
東京建物が25年間かけて開発に取り組んだことは既に紹介したとおりだが、再開発の条件をめぐり折り合いがつかず、これ以上スケジュールを遅らせることはできないと、質屋や消費者金融が入居したビルは除外して「虫食い状況」での再開発を余儀なくされた。
素人目には「失敗」にも見える一連の再開発だが、意外なことに、経済的には大成功だという。近年、中野サンプラザなど再開発が頓挫する例が相次ぐが、最大の理由は建築費の高騰だ。建設現場を支えてきた高齢職人の引退や時間外労働の上限規制適用に円安に伴う輸入材の価格上昇も重なり、建築コストはかつてないほど高まっている。
「昔はゼネコンに仕事を発注してやるという立場だったが、今はゼネコンに頭を下げてなんとか作ってもらっている」(大手デベロッパーのA氏)。こうした状況下、トフロム八重洲は「ギリギリで滑り込みセーフのタイミングだった」。仮に合意を得るための条件交渉があと1年、2年と遅れていたら、建築費の高騰でプロジェクトそのものが見直される可能性すらあったという。
「損切り」を選んだ経営陣の決断力
加えて、オフィス市況の回復という思わぬ追い風も吹いた。着工時には新型コロナの流行によってオフィスの需要そのものが消失するのではという懸念もあったが、足元ではリモートワークの縮小と出社回帰の風潮が強まっており、好立地のオフィスは取り合いの様相を呈している。東京駅の目の前という超一等地なだけあって、トフロム八重洲は丸の内並の賃料を確保できているという。複合ビルの収益源はオフィスであって、入口の見てくれが多少悪かろうが、影響はない。
一連の開発を振り返ると改めて評価されるべきなのは、東京建物の当時の経営陣の決断力だ。全体の完成度を高めるために理想を追うのではなく、交渉がまとまらないとみるや外観は「損切り」し、プロジェクトの遂行を優先するというのは、日本企業が苦手とするところだ。決断に至るまでの議論は決して表に出てこないが、伝統や体面を重んじるデベロッパーにとって、容易でなかったことは間違いない。
デカデカと存在感を放つ質屋の看板だけを見て失敗したと笑うのは簡単だ。質屋やサラ金の看板が煌々と輝く光景は今後100年間にわたり後ろ指を指されるかもしれない。しかし、決して失敗が許されないプロジェクトを完遂するためにとった苦渋の決断の結果として見ると、また違った味わいがある。
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