90年の歴史を「過去の遺産」にしていいのか

2025年、金田正一の400勝に次ぐ350勝を挙げた大投手・米田哲也が自宅近くのスーパーで缶チューハイを万引きして逮捕されたショッキングなニュースは、昭和の野球が今の人々の記憶から消え、往年の名選手が「普通の老人」になっていたことを意味している。昭和の大選手を「永久欠番」に設定しても、球団の有効なプロモーションにはならない、という現実があるのだと思う。

しかしながら日本のナショナルパスタイム(国民的娯楽)として90年に及ぶ歴史を刻んできたプロ野球を過去の遺産にするのは、あまりにももったいない。

NPB球団でも歴史を見直す意識はあるようで、2026年8月4日には京セラドーム大阪で、ソフトバンクが「南海ホークス復刻ナイター」と題し、日本ハムと試合をした。1989年に大阪から福岡に移転して37年が経過したが、京セラドームには往時を懐かしむオールドファンも詰めかけ、3万5121人の超満員だった。

また西武は、同8月30日、栗山巧の引退試合に、中島宏之、片岡保幸というかつての戦友に加え、ともにトレーニングした野茂英雄も招いた。球団、プロ野球の「歴史」を改めてファンにアピールする意向が見て取れた。

試される「歴史継承」の重み

筆者は西武広報に、改めて問い合わせた。

質問1:埼玉西武ライオンズ様としては、今も稲尾和久さんの「24」は永久欠番との認識でしょうか?

回答:相違ございません。前身の西鉄自体を含むライオンズの75年以上に渡る歴史のなかで、稲尾和久氏は偉大な功労者のひとりとして考えており、現役時代と西鉄監督時代の背番号「24」を永久欠番と定めております。


質問2:例えば中西太さんの「6」、東尾修さんの「21」などを永久欠番にするお考えは?

回答:現時点では未定です。


質問3:栗山巧選手の「1」や、中村剛也選手の「60」は?

回答:現時点では未定です。

1979年、ライオンズが福岡から埼玉県所沢の地に移転してあと3年で半世紀となる。移転時には「甦れ! 俺の西鉄ライオンズ」という歌が流行した。「返せ、返せ、ライオンズを返せ」と言う歌が筆者の耳底に残っているが、今やライオンズは「埼玉の顔」になった。筆者には「ライオンズの応援がしたいから西武沿線に住んでいる」という知人が複数いる。

パ・リーグで唯一、永久欠番を採用している球団である埼玉西武ライオンズ。そろそろ「ライオンズの歴史」を振り返るキャンペーンを大展開してもよいのではないか。

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