関ヶ原でかつての敵味方が…
秀成の妻は佐久間盛政の娘である。盛政は賤ヶ岳の合戦で父・清秀を討ち取った人物である。秀吉が盛政を捕縛して秀政・秀成兄弟に処遇を尋ねたところ、父が討ち死にしたのは戦国の世の習いであるから、盛政に恨みを持っていないと返答した。それを聞いた盛政が感じ入り、娘を嫁がせたいと懇望したのだという。
仇の娘を嫁に迎える事例といえば、秀成の姉の婚家・池田家が有名である。小牧・長久手の合戦で池田恒興が徳川軍に討たれると、秀吉は両家の仲が悪化するのを憂いて、恒興の遺児・池田輝政と家康の娘との婚姻を斡旋した。これで輝政がすっかり徳川派の急先鋒になってしまい、関ヶ原の合戦で家康方として大活躍したのだから、秀吉は浮かばれなかったに違いない。
なお、中川秀成も関ヶ原の合戦で家康方について所領を安堵されている。
江戸時代は岡藩の小大名に
岡藩(大分県)の祖・秀成から数えて5代目の中川久通(1663~1710年)の妻は、大老・酒井忠清の娘である。忠清は4代将軍・徳川家綱の大老で、下馬札近くに屋敷があったことから「下馬将軍」と呼ばれ、絶大な権勢を振るった。なぜそんな大物の娘が嫁いできたのかといえば、祖父の中川久清が忠清と従兄弟だったからだろう。
久通の子、6代・中川久忠(1697~1742年)には子がなかった。大名家の家系が途絶えそうになった時、①同じ血縁の一門から養子を迎えるケースと、②大大名や幕閣の有力家系から養子を迎えるケースがある。
中川家の血は途絶えたが…
たとえば、マンガ『センゴク』で有名な仙石秀久の仙石家、大河ドラマ「功名が辻」(NHK)で有名な山内一豊の山内家、「豊臣兄弟!」(NHK)で有名になった藤堂高虎の藤堂家はいずれも①一門の家老家から養子を迎えている。一方、中川家は②を選び、大藩・安芸広島藩主の浅野綱長の四男・中川久慶(1708~1743)を養子に迎えた。羽柴秀吉の義弟・浅野長吉(のち長政)の子孫にあたる。久通の姉の夫が綱長の従兄弟にあたるので、この養子縁組に繋がったのではないか。
その久慶にも子がなく、老中・松平信祝の次男、中川久貞(1724~1790年)を養子に迎えた。信祝の妻が酒井忠清の養孫にあたるので、その縁から養子縁組みが打診されたのではないか。信祝は、「知恵伊豆」の通称で名高い松平伊豆守信綱の末裔で、代々老中を務める譜代の名門なので、中川家としては「うまくやった」と思ったに違いない。

