「一緒に食事をする」のは人間だけ
もう1つだけ、少しやわらかいお話を。人が人との関係でお互いに共感し合い、信頼関係をうまく作り上げるために、私が今の世の中だからこそ必要だなと思うことがあります。
それは、「一緒に食事をする」ということです。
動物の中で食物を分け合う、子どもなどの家族以外と分かち合うのは人間だけです。
サルは分け合いません。強いサルがいわば独り占めです。類人猿は「たまに」分け合います。
分け合うのは、ゴリラでは果物、チンパンジーでは肉が多いのですが、それでも仲間から「欲しいんだけど、くれない?」と求められない限り、分け合うことはしません。
それともう1つ、人間と決定的に違うところ。それは、仲間が待っているところにまで食物を持ち帰って分け合うようなことは絶対にしない、ということです。
人間は、たとえば山に狩りに行って獲物を捕らえたら、持ち帰ってきてその集落の仲間と分け合ったりしますよね。山菜採りやキノコ狩りや潮干狩りでも、自分の必要以上の量を採って持ち帰ります。
もちろん動物でも、たとえば巣穴にいる子どもに獲物を持って帰って与えるといったことはしますが、家族以外の仲間がいるところにまで獲物を持ち帰って分け合うことはしません。ゴリラなど類人猿でも、餌を捕れた場所、食物がある場所でしか分け合わないのです。
「共食」で信頼関係ができる
この人間だけがする「わざわざ持ち帰って分け合う」という行為、つまり「共食」は人間特有のもので、分け与える範囲も家族や仲間だけでなく、その場にいた見ず知らずの人にまで及ぶこともあります。
この「共食」という習慣は、実は人類の初期の祖先の時代に培われ、その後、延々と人類に受け継がれてきた、いわばDNAのような「社会性」です。今を生きている人たちにも、身体の中に埋め込まれている、そう感じます。
そんな視点で考えると、たとえば各国の首脳同士が会談した後になぜ食事をするのか、どこかの国から要人が来日すると、なぜ日本の首相は「銀座のすし屋」に連れていくのかなども理解できるでしょう。ただおいしい料理をご馳走しているわけではないのです。
一緒に食事をすることは、あまたいる動物の中でも人間だけがする「共食」の習慣の表れであり、人間が社会を作り上げるために、ずっと以前から実践してきたことの一つです。
企業のトップ同士が「今度、お昼でも食べながら話しましょう」などと約束するのも、食事を共にすることで共感し合え、お互いの理解を深め合うことができ、信頼関係を構築しやすくなるからなのです。
だから、私は今の時代において、仲間と「一緒に食事をする」ことは、仲間を信じて信頼関係を構築するのに大切な役割を果たすと考えています。
在宅勤務、オンラインでのミーティング、フレックスな働き方などで人と直接に会う機会が少なくなりつつある今だからこそ、もう一度、あえて「会って一緒に食事をする」行為について考えてみるのは、おおいに意味があると感じています。
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