歌詞と楽譜に感動→レコード化→即映画化

モンテンルパの死刑囚から届いた歌詞と楽譜に渡辺が感動し、ビクターにかけあってレコード化を決めたことを最初に報じたのは、『読売新聞』1952年6月28日付の神奈川版だった。地方ニュースの扱いである。渡辺が当時鎌倉に在住していたための、いわばローカル記事に過ぎなかった。

レコードに針を落とす人の手
写真=iStock.com/LFO62
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数多あった慰問活動の一つ。それが当時の渡辺はま子の立ち位置だった。

ところが、戦犯の釈放が社会の関心になっていた当時、発売されたレコードは瞬く間に話題になった。これを新東宝はすぐに映画化を決定。同年10月9日に『モンテンルパの夜は更けて』を全国の劇場で公開をしている。当時の広告には、こんな風に煽られている。

「新東宝の問題作! 万感の涙こめて全世界に訴う映画 果てない悲しみに海に呼べど帰らぬ痛恨のこだまが今日も甲斐なく消えていく…… 絞首台に昇る十三階段その階段へ登るのは何日か ああ誰に耐えたらよいのか!」

しかし、スクリーンに映る物語は、冤罪で死刑を宣告された許婚(小笠原弘)を待ち続けるヒロイン(香川京子)の苦悩を描いたメロドラマだった。公開時20歳の香川京子に男性観客が、許婚の兄役・上原謙に女性観客が吸い寄せられる、いつの時代も変わらない興行の論理である。外交交渉でも賠償問題でもなかった。

新聞の人生相談にも“モンテンルパ”が登場

社会現象はさらに思わぬ方向にも広がっていた。『読売新聞』1953年2月17日付夕刊の「人生案内」……現在も同紙の名物連載に、16歳の女性からこんな投稿が掲載された。昨年5月からモンテンルパの死刑囚の元軍医と文通を続けているが、この度縁談があり家族から文通をやめるよう言われた、というのだ。彼女はこう綴っている。

「私は押さえに押さえていた尊敬、愛情、同情の念が爆発し、彼の命がモンテンルパにある限り待とう、そして彼の家庭に一時養女として入りその家庭の面倒をみたいという気持ちになりました。こうした気持ちを彼に伝えるべきでしょうか」

死刑囚への純愛。モンテンルパはいつの間にか、16歳の少女が恋焦がれる「遠い男」の象徴にもなっていた。

この投稿に回答したのは、医師で性医学者の山本杉だった。後に自民党参議院議員となり、仏教婦人運動にも関わる知性派である。彼女の回答は、突き放すでもなく、煽るでもなかった。「そのような例を戦地で経験した人から直接聞いて(中略)そのような方に一生を捧げてゆくことは女として光栄であり、普通ではできない美しさがございます。しかし、あなたの場合、その相手の方は立派な方です」と認めながらも、最終的には「迷うなら常識論に引き下がって身のふりかたをお考えになるべきです」と諭すのだ。