世の中には、邪魔なもの、ムダなものだと思われているが、実際には役に立つもの、大切なものがある。

「雑談」はその1つの例であろう。雑談をしている時間は、ついつい「ムダ」なものだと思われがちだが、実際には大切な役割を担っている。

たとえば、取引先と打ち合わせをしたとしよう。1時間、始まりから終わりまで、ぴたりと仕事の内容を話し続ける。効率がいいようでいて、実は発展性がない。

冒頭の5分間でも、あるいは、要件が終わった後の10分間でも、関係のない世間話をする。そのことによって、相手の人間性がわかったり、思わぬ共通の知人が見つかったり、さまざまな背景知識が得られることが多い。

仕事の打ち上げで飲むのは、典型的な雑談の機会だろう。終わったばかりの仕事の反省をする、ということもあるけれども、そのうちに雑談になる。そのときに、「またやりましょう」とか、「今度はあそこで」とか、新しい仕事の種が見つかることは、実際に多い。

雑談は、セレンディピティ(偶然の幸運)が花開く土壌である。「A」ということを目的に行動していて、偶然別の「B」に出会い、それが人生に新しい展開をもたらす、というのがセレンディピティ。仕事でも、プライベートでも、雑談をすることが、セレンディピティへの道筋となる。

ところで、雑談は、まじめに考えてみると、大変奥深い。何しろ、事前に準備することができない。どんな内容が話題になるか、予想することができない。

「こんな話題を」と時事ネタを準備していくことはできる。しかし、相手の話の内容によっては、どんな方向に発展していくかわからない。予想外の方向に話が流れていっても、臨機応変、柔軟に対応できなければ、「雑談力」の高い人にはなれない。