1945年8月15日、日本は敗戦した。以来、この日は「終戦記念日」と呼ばれているが、すべての戦いが瞬時に終わったわけではない。ルポライターの昼間たかしさんによれば、かつてメディアで話題になった小野田寛郎さんや横井庄一さんのほかにも、40年以上“戦い続けていた”日本人がいたという。昼間さんが、残された資料から彼らの実像に迫る――。
千羽鶴
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タイ・マレーシア国境付近にいた二人の日本人

1945年8月15日、日本が敗戦した。

多くの人はこの日をもって太平洋戦争が終わったと考えている。しかしそれは、あくまでも政府の降伏である。アジアから太平洋まで広く展開していた日本人の一人ひとりにとって、政府の降伏は戦争の終わりを意味しなかった。

フィリピン・ルバング島のジャングルで約30年間戦い続け、1974年に帰還した小野田寛郎。グアム島の密林に28年間潜み続けた横井庄一。彼らは終戦を知らずに戦い続けた悲劇の英雄として語られている。

だが、これは例外的な話ではない。

敗戦後もジャングルに消えた日本人は、もっとたくさんいた。そしてその中には、終戦を知ったうえで、それでも銃を置かなかった者たちがいた。

戦争が終わったことは知っていた。それでも彼らは戦い続けることに、自分の人生を懸ける意味を見いだしたのだ。

日本全土がバブル景気に沸いていた1989年4月、タイから届いた外信が一躍注目を集めた。タイ・マレーシア国境に二人の日本人が生存しているというのだ。第一報を報じた「朝日新聞」は、こう報じている。

タイ・マレーシア国境のタイ軍当局者が3日明らかにしたところによると、タイ南部のマレーシア国境で、旧日本兵二人が、ゲリラ組織のマラヤ共産党(CPM)に加わり、今も国境地帯に生存しているという。

同当局者によると、この情報は、87年4月にタイ軍に投降したCPMの元書記、チャン・チュン・ミン氏(当時62)がタイ軍に語ったもので、タイ側はCPMと接触、事実確認を続けている。(「朝日新聞」1989年4月3日付東京夕刊)

「踏みにじったマラヤが、英国に返還されるのが許せなかった」

じきにこの二人は、熊本県玉名郡出身の田中清明(当時77)と神奈川県鎌倉市出身の橋本恵之(当時71)だと判明した。5月には、現地を訪問した田中の従兄弟と橋本の弟がCPMの支配区で二人に面会。二日間かけて山や谷を越えて面会場所に現れた二人はゲリラの戦闘服のままで涙ぐんで再会を喜び合った。敗戦時に既婚者であった田中は、従兄弟が持参したビデオテープで51歳になった長女の成長を喜び、まだ生きていた妻に「会える時まで待っていて」と頭を下げたという。(「読売新聞」1989年5月25日付朝刊)

そして、1990年1月、ついに帰国の途についた二人は、バンコクで日本の報道陣を前に記者会見。ジャングルでゲリラに参加した理由を問われた二人は、こう答えたのである。

「日本が第二次世界大戦中に踏みにじったマラヤが植民地として英国に返還されるのがどうしても許せなかった」

「許せなかった」その言葉の意味を理解するには、二人がマラヤの地で何を見ていたかを知らなければならない。