「ニュース」も「おしん」も届いていたジャングル
仲間を失い、望郷の念が募っても二人はジャングルから去ることをよしとしなかった。その理由を二人は、帰国のためには敵であるマレーシア政府に投降しなくてはならず、それは「日本人の信義を失うような気がした」からだと語っている。
そんなジャングルでの生活だが、意外にも日本の情報は豊富だった。短波放送で日本のニュースは容易に聞くことはできたし、『おしん』は中国語版のビデオも手に入った。だから、当初から接触した日本の報道陣に対しては、青函トンネルや瀬戸大橋のことも語り、さらに大相撲の大乃国についてまで話し始めている。
現地のゲリラたちは、二人を最後は英雄として送り出した。その後、祖国での余生は、静かなものだった。妻子のあった田中に対して、身よりが弟しか残っていなかった橋本は、弟の家に近い千葉県の市営住宅に入居した。軍属だったため軍人恩給もなく生活保護を受けていた(「朝日新聞」1995年12月23日付千葉版)。それでも日課の太極拳を欠かさないゲリラ時代からのスタイルのまま暮らし、1997年に死去。
妻子と共に神戸市に居を構えた田中のほうも波瀾万丈で、1995年の震災の時は家の天井が崩れて妻と共に半日閉じ込められたが「私たちは大丈夫」とゲリラ時代のような冷静さを見せたという。2000年に死去。
「自分自身の戦争」を戦い抜いた男たち
考えてみれば、二人は一度も「誰か」のために戦ったわけではない。
日本軍のためではなかった。日本という国家のためでもなかった。マラヤ共産党のイデオロギーのためでさえ、本当はなかったのかもしれない。
田中と橋本が最後まで手放さなかったのは、ただ一つ――自分が納得できるまで戦うという、それだけのことだった。
国家は降伏する。組織は瓦解する。イデオロギーは変質する。しかし個人の意志だけは、本人が諦めない限り、誰にも奪えない。
二人はそのことを、45年間のジャングル生活で証明してみせた。
英雄譚でも、悲劇でも、反省でもない。これは、自分自身の戦争を最後まで戦い抜いた男たちの話である。


