分譲マンションも併設した複合施設

サンモール高砂はなぜ廃墟となってしまったのだろうか。その盛衰を追っていく。

サンモール高砂は1976(昭和51)年3月、三菱製紙工場の土地にオープンした。高砂市が1968(昭和43)年に作成した「高砂地区再開発事業計画」に基づいて三菱商事が開発を進めることになり、さらにそれを三菱倉庫が受け継いで開発。モールの運営管理は、三菱倉庫が子会社の新葵サービスを設立し委託した。

駅から商店街をつなぐ255mの通路の両脇に東館と西館の2つの棟が建てられ、東館には専門店22店舗、西館には核テナントの西友ストアーと専門店32店舗が出店した。そのうち27店舗は地元店舗で構成。また、西館の4階~10階は分譲マンションの高砂ハイツとされた。

サンモール高砂から商店街までの間に通路が整備されている。街路樹が植えられ、特徴的な形の柵があり、楽しげな道を作ろうとしたことが伝わってくる
筆者撮影
サンモール高砂から商店街までの間に通路が整備されている。街路樹が植えられ、特徴的な形の柵があり、楽しげな道を作ろうとしたことが伝わってくる

『商業界』によると、「西友ストアーの売場面積は当初計画より4割近くも削減(中略)当初計画はもっと広大であったが、地元商業との調整の後、縮小された。そのため投資コストを償却するため一部が住宅となり42戸が入居している」という。(『商業界』1976年11月)かつては地元商店を保護する観点から、このように大型店の売場面積が削られるのが通例であった。

オープン2日目には9万人が押し寄せた

サンモール高砂のオープン日には7万人、翌日の日曜日には9万人もの人が詰めかけた。(『三菱倉庫百年史』1988年3月)敷地面積は約1万8000平方メートル、50店舗強の中規模モールにこれだけの人が集まったとは、さぞ賑わったに違いない。当時の高砂市の人口は約8万人であり、高砂市民のみならず、近隣市町村の住民がサンモール高砂に期待を寄せて来店した様子が目に浮かぶ。

オープン2年目の1977(昭和52)年の売り上げは前年に対し12%伸長していることから、好調に推移していたことがうかがえる。

しかしその後、隣接する姫路市や加古川市で大型ショッピングセンターの建設計画が浮上する。そこでサンモール高砂は競合に対抗するため、1978(昭和53)年に南館を増築した。南館にはスイミングスクールや音楽教室、文化教室が集められ、ほかに3つの専門店も加わった。

特にスイミングスクールによる商圏拡大の効果が大きく、1978(昭和53)年の売上伸長率18%となった。スイミングスクールは会員数の増加からキャパシティ不足となり、1980(昭和55)年に増改築するほど人気だった。

東館の屋上に子どもが自由に遊べるちびっ子広場が設けられたり、地元の人々による作品展などさまざまなイベントが催されたりと、地域の人々が楽しむ場になっていた。