「朝から家系ラーメン」で年商1億円
「もう、この人は一人にできないと思ったんです」
東京都多摩市の多摩センターで横浜家系ラーメン店「たま家」を営む阿部正博さんの妻、絵奈さんは、夫との8年間をこう振り返る。
「たま家」は、朝7時から営業を始め、午前中だけで200人ほどの客が訪れる人気店だ。土日はさらに2割ほど客数が増える。朝から濃厚な家系ラーメンを食べるというスタイルが注目され、テレビやYouTubeなど、さまざまなメディアにも取り上げられるようになった。年商は1億円の大台が目前で、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
しかし、ここに至るまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。
25周年を迎えるたま家の歴史は、ラーメンの歴史であると同時に、一人では店を守れなかった男と、その男を見捨てなかった女が、夫婦として店を守り直した物語でもある。
「人の言うことが聞けない」会社員を辞めラーメン修行へ
正博さんは川崎生まれ。ラーメンの原点は、小学校6年生の頃までさかのぼる。
「家の近くに『ラーメンショップ』ができたんですよ。それがもう、めちゃくちゃ好きで。今でもその店は残っていて、時々食べに行きます」
社会人になってからも、ラーメンへの思いは消えなかった。転機になったのは、会社員時代に上司とぶつかったことだった。専門学校を卒業後、旅行会社を経て働いていた居酒屋チェーンで、当時エリアマネージャーを務めていた正博さんは衝突を繰り返した。
「上司と喧嘩して会社を辞めたんです。そのときに、『あ、自分は人の言うことを聞けないな』ってわかっちゃったんですよ。だったら、自分で仕事をやるしかないなって」
独立するなら、好きなラーメンをやろう。そう考えるようになった。
すぐにラーメン店で修業しようとある店に入ったが、独立・開業には多額の自己資金が必要なことを知り、一度トラック運転手になってお金を貯めることにした。
「1年9カ月、ほとんど休まなかったです。休んだのは4日だけ。風邪をひいたときくらいです」
仕事の合間にもラーメンを食べ続けた。トラックで各地を走り、仕事が終わればラーメン店へ向かう。
「ほぼ家系ラーメンでしたね。相模原にあった『近藤家』の支店が大好きで、朝食べて、夕方また食べたこともあります」
ある日、「家系ラーメン御三家」と呼ばれた横浜・下永谷の名店「本牧家」の前を通った。看板に、弟子を募集する旨の告知が出ていた。
「これはと思って、電話したんです」
お金もある程度は溜まっていた。「これならやっていける」。修業への道が開いた。


