開業資金に全財産をつぎ込み、貯金残高はたったの8万円

本牧家での修業は約半年に及んだ。

「最初の3、4カ月は無休で毎日働きました。それはそれは忙しいお店でしたね」

現在のたま家のベースにもなっている家系ラーメンのスープ作りはもちろん教わった。ただ、正博さんが「一番重要だった」と語るのは、醤油ダレ、いわゆる「カエシ」のレシピだった。

「スープはいろんな作り方があるんですけど、カエシのレシピは門外不出でどこにも書いていないんですよ。師匠の頭の中にしかない。だから、それを教えてもらうことが大事だった」

本牧家は、1日600~700人が来る大繁盛店だった。

「営業が終わったあと、1000円札を600枚、700枚と数えるんです。当時はお札を数える機械なんてないから、全部手で数える。指紋がなくなりそうでした(笑)。でも、それをやりながら『夢があるなあ』と思いました。1日でこんなにお客さんが来るんだって」

その光景が、後の正博さんの人生に大きな影響を与えた。

半年間の修業を終え、独立に向けて物件を探し始めた。100軒以上の物件を見た中で偶然見つけたのが、現在の多摩センターだった。

縁があったわけではない。だが、車で通るたびに「ここ、いいかもしれない」と思っていた場所だった。内装はほぼ一から作った。開業資金は600万円。

2002年、31歳。正博さんの貯金は8万円になった。

「もう、何があっても休めないなと思いました」

家系ラーメンが認知されず客足は遠のく

オープン直後の1カ月は物珍しさもあって客が来た。しかし、2カ月目から状況が一変する。

濃厚な豚骨スープの仕込みをする正博さん
筆者撮影
濃厚な豚骨スープの仕込みをする正博さん

「パタッと来なくなりました。多摩では家系ラーメンの市民権が、まだ全然なかったんです。『何、このしょっぱくて太い麺のラーメンは?』という感じでした」

焦った正博さんは、細麺を用意したり、味噌ラーメンを出したりしたが、思うように客足回復にはつながらなかった。

今のようにSNSもない。XやInstagramで店を知ってもらうこともできなかった。

「今思えば、ブレブレでしたね。単純に自分の腕もなかったんだと思います。ただ、集客する方法もわからない。だから、本当にコツコツやるしかなかったんです。決まった時間に店を開けて、とにかく続ける。それしかなかった」

その努力が功を奏したのか、2年目になると徐々に存在が認知され始め、少しずつ地元客が増えてきた。雑誌にも初めて掲載された。

「ローカルの小さなラーメン本だったんですけど、載ったときは本当に嬉しかったですね」