「乱世で生き残るためにはやむを得ない」

宇喜多氏、とりわけ直家が置かれていた状況は、現代の日本に通じるところがある。大国や、不穏な動きをみせる周辺国を相手に、うまく泳ぎ切らねばならない。そこは、今の視聴者も意識していると思う。

真田丸で昌幸がクローズアップされたのも、優れた脚本や俳優の演技だけでなく、地方の小勢力が知略を尽くして大国を翻弄するという構図が魅力的に映ったというのもあるだろう。

宇喜多氏も同じで、裏切りや暗殺といった負の部分があったとしても、乱世で生き残るためにはやむを得ないことだと共感を得られるはずだ(「戦国岡山 宇喜多氏を語る (6)」「山陽新聞」2025年3月25日付朝刊)。

さらにこの記事で、平山は、関ヶ原で西軍についた秀家を大坂夏の陣の真田信繁(幸村)になぞらえ「圧倒的に有利だった家康に命を懸けて立ち向かった彼の姿は、判官贔屓もあって今もなお日本人の琴線に触れるのだろう」と絶賛。

さらに、戦国史の大家である小和田哲男も直家を同じ岡山にゆかりのある北条早雲とならぶ人物だとし、直家、秀家父子の功績として、岡山城と城下町の建設を挙げ、次のように語っている。

1945年6月の空襲で焼失する前の岡山城旧天守
1945年6月の空襲で焼失する前の岡山城旧天守。1934年3月撮影(写真=毎日新聞社/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

“天下人・信長と同じ発想”を実行した人物

実は、直家のようにたびたび拠点を移し、城下町を一からつくっていった武将は少ない。代表的なところでは信長が挙げられるが、後の天下人と同じ発想を実行した点においても、やはり大した人物だと思う。秀家にしても、城下町で武士と町民を分けて住まわせる、いわゆる「士庶別居住区分」を設けたさきがけ。情報伝達などで効率的なのに加え、秀吉の進めた兵農分離の施策にも適合している(「戦国岡山 宇喜多氏を語る (1)」「山陽新聞」2024年10月29日付朝刊)。

地元紙が、大河ドラマ誘致の機運を盛り上げるという意図でやっている連載ということを割り引いても、直家が再評価に値する人物なのは確かだろう。

そして、なにより岡山が盛り上がるのは、2000年に及ぶ積年の中央の権力者に対する恨みである。

岡山県南部には、日本第4位の大きさを誇る造山古墳をはじめ、弥生時代の墳丘墓である楯築遺跡など、かつての繁栄を示す多くの遺跡が残る。古墳時代には、巨大な権力を持つ吉備国が誕生するが、それはヤマト王権の警戒を招き数々の陰謀によって衰亡させられた。各地に事蹟の残る桃太郎伝説もいうなれば、ヤマト王権による在地権力の征服である。