沖縄とグリーンランドの大きな違い
18世紀初頭からデンマークの植民地下に置かれた同島は、段階的に「自己決定権」を拡大してきた。2003年、米国がピトゥフィク宇宙基地(当時チューレ)のレーダーをミサイル防衛網に組み込もうとした際、グリーンランドは公の場で反発。同年の「イチリク宣言」によって、外交・安全保障問題における自治政府の「共同署名権」を獲得するに至った。
大国の軍事計画に対してただ従うのではなく「ノー」を突きつけ、自分たちの合意なしには決められないという「実質的な拒否権」を手に入れたのだ。
さらに近年、空港建設をめぐっては、中国から打診された投資を意図的にチラつかせ、米国と本国デンマークの焦りを誘うことで、自国に有利なインフラ資金を引き出すという巧みな交渉力を見せている。
グリーンランドは、大国の思惑を逆手にとり、「交渉のテーブル」を勝ち取った。翻って沖縄はどうか。なぜ沖縄は、同様の対外交渉力を持ち得なかったのか。
グリーンランドでは、自治法に「自己決定権」が明記され、民族的連帯が交渉の土台となっている。植民地支配が終わった後も、強制避妊など人口抑制を目的とした非人道的な措置を受けた暗い過去が、現在もなお、本国との関係に緊張を残している。
だが彼らは権利保護のために「デンマーク人であること」を強いられることはなかった。むしろ、国際的な場で本国に引けをとらない「当事者の地位」を制度的に確立してきた経緯がある。
県民の知らぬ間に有事使用が決まる
一方、沖縄が背負わされた歴史は異なる。琉球処分以降の同化政策のもとで独自の言語や文化を手放す圧力に、あまりにも長くさらされ続けた。「捨て石」とされた苛烈な沖縄戦を経て、戦後は27年もの間、米軍施政下に置かれ、無権利状態の中から日本国憲法(平和憲法)のある日本への帰属を求めた。「日本人であること」の“鎧”に時におもねり、時に抗いながらも、後世のためと願い、本土復帰運動を闘ってきた先達の歴史がある。
だが復帰後も、「当事者としての声」は分厚い壁に阻まれてきた。日米間で有事の際には核兵器の再持ち込みを認めるとした1969年の「核密約」の存在は、非核三原則を掲げる政府によって長年隠蔽され続けた。
近年では、玉城デニー知事の日米協議機関への参加要求に応答はなく、2018年の翁長雄志知事による辺野古埋立承認撤回に対しては、国(防衛省)が自らを「一私人」に見立てて身内の大臣に執行停止を求めるという手法で無効化した。
沖縄がどれほど民意を示し、法的な手続きに則って抵抗したとしても、決定の場が迂回され、関与する機会すら奪われていく。沖縄が基地の賛否という国内対立にエネルギーを奪われている間に、那覇空港の有事使用という重大な計画もまた、沖縄の預かり知らないところで着々と実行体制を整えようとしているのである。


