集落の政治を握る高い身分の人間は

しかし私は、縄文時代の長距離の交易の進展の中で、各地の集落に一部の有力者が現れたのではないかと考えている。

前にあげた三内丸山遺跡が繁栄した縄文時代前期頃から、日本列島の各地を結ぶ水上交通路が整備されていった。

この時期になると、縄文人はアワ、ヒエなどの栽培や、有用な植物の半栽培をひろく行なうようになっていた。前にあげた三内丸山遺跡の住民は、集落の周辺に広大なクリ、カシの森林を育て、そこから食用のクリやドングリを得ていた。

約6000年前あたりから、縄文人は自然の恵みだけに頼った原始的生活と別れを告げていたのである。

食料の心配が無くなり、長距離の交易で各地から有用な商品を調達できるようになった。このような段階の縄文人が、昔ながらの財産を共有する生活を続けていたとも思われない。

近年、トルコ南部のギョベックリテベ遺跡やカラハンテベ遺跡で、巨大な神殿を持つ有力な都市が発掘された。それらはメソポタミアで農耕が始まった時期より古い、1万2000年前頃につくられたものだ。

チグリス川とユーフラテス川上流に、ギョベックリテベ遺跡のような、農耕以前の都市が現れたのだ。そこの住民は、大掛かりな罠で獲物を獲るなどして、安定した生活を送っていた。

そういった中で、一部の特権身分が現れたと考えられている。

縄文時代の日本では農業の指導者ではなく、航海と交易の指導者が、集落の政治を握る高い身分の人間とされたのではあるまいか。

下太田貝塚の人骨から、もう1つの興味深い事実が明らかになった。そこの人骨の鑑定がすすめられていく中で、ミトコンドリアDNA分析が行なわれた。

女系の氏族がひらいた集落

そうすると、人骨を残した集落の構成員のすべてが女系でつながることが明らかになった。

武光誠『直近20年の新発見で解き明かす 古代史の真実』(青春出版社)
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ふつうは古い時代には、自然な形で女系の家族がつくられていくと考えられている。

母親が何人かの男性と交渉を持ち、多くの異父の兄弟姉妹を育てる。そのあと母親の娘たちが母の遺産を受け継ぎ、息子たちは配偶者を求めて母のもとを離れていく。これが自然な形だというのだ。

そして武力のある者が1つの家族をまとめる時代になると、父系の家族が現れる。父親が、最も強い息子を後嗣ぎにして家長とするのである。

豪族たちは古墳時代に父系の家族になっていったが、農民の間では平安時代終わり頃まで母系の家族が広くみられたとする説がある。

DNA研究の発展により、下太田貝塚のような、母系の集団が残した縄文時代の集落が今後いくつも知られるようになると考えてよい。

今回とり上げた有珠モシリ遺跡と下太田貝塚の新発見によって、縄文時代のあり方が大きく書き換えられた。

縄文時代は1万3500年におよぶ、長い時代である。

そしてその中の草創期、早期の1万500年ほどの時期の縄文人は、原始的な段階にあった。

しかし縄文前期以降の3000年ほどの期間で、縄文人は手広く交易を行ない各地の文化を交流させて、独自の縄文文化を育てていったのである。

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