「強さ」とは、変化に適応する力である
安倍氏が世界に示したのは、一つの事実だ。日本が前に出てリーダーシップを発揮すれば、世界はそれを歓迎する。安倍氏は、戦後日本が身につけてしまった「できるだけ目立たぬように振る舞う」という習性を、脱ぎ捨ててみせた。
高市首相に求められているのは、まさにこの教訓を自らのものとすることである。安倍氏の名を借りるのではない。自ら前に出て、日本を強くし、本物のリーダーシップを示すことだ。それができたとき、世界は、そしておそらく中国でさえも、初めて日本に敬意を払うようになるだろう。
世界の力関係は、絶えず移ろい続けている。永遠に続く関係など存在しない。最後に生き残るのは、最も強い者でも、最も正しい者でもない。変化を読み取り、それに合わせて自らを変えていける者なのだ。安倍氏が示してみせたのは、まさにこの「適応する強さ」であった。
そして、ここにこそ、安倍氏が遺した最も逆説的な教訓がある。日本人は長らく、「強さ」を、頑として動かぬこと、信念を曲げぬことだと考えがちだった。だが安倍氏が体現した強さは、その正反対のものだった。彼の強さとは、しなやかさだったのだ。
相手によって構え方を変え、状況によって手を変える。それでいて、守るべき芯、すなわち日本の国益だけは、決して手放さない。竹が嵐のなかでしなりながら折れずに立ち続けるように、安倍氏は揺れながら、しかし倒れなかった。高市首相が真に受け継ぐべきは、安倍氏の信条ではない。この「しなる強さ」のほうである。
日本には古いことわざがある。「鶏口となるも牛後となるなかれ」。大きなものの尻尾につき従うよりも、たとえ小さな群れであっても、その先頭に立って率いるほうがはるかに良い、という教えだ。これこそ、いま日本が直面している選択そのものである。高市首相は、そして日本自身は、率いる側に立つことを選ぶのか。世界はその答えを、静かに、しかし真剣に待っている。

