なぜ西郷隆盛は、多くの人を惹きつける指導者になれたのか。偉人研究家で著述家の真山知幸さんは「実際には、若い頃は近所から恐れられる暴れ者で、上司への暴言が原因で島流しにもなっている。後年の人格者としての西郷は、数々の失敗と苦難の末に生まれた姿だった」という――。
エドアルド・キヨッソーネ作、西郷隆盛肖像〔画像=『幕末・明治・大正 回顧八十年史』(1933年出版)/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons〕
「厄介者扱い」だった少年時代
2028年のNHKの大河ドラマは、中濱万次郎(ジョン万次郎)を主人公とする「ジョン万」の放送が決定。2027年の大河ドラマが、幕末の武士・小栗忠順を主人公にした「逆賊の幕臣」なので、2年連続で幕末を舞台とした作品が描かれることになった。
激動の時代を駆け抜けた志士たちの生き様を知ることは、変化の絶えない現代を生き抜くうえでも、大きなヒントになることだろう。「維新の三傑」の一人で大久保利通の盟友、西郷隆盛をピックアップする。
敬天愛人――天を敬い、人を愛する。
西郷が好んでよく使う言葉として知られているが、少年時代の西郷は全くその境地に至っていなかった。
文政10(1828)年、薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛(諱は隆盛)とマサの長男として西郷は生まれた。
藩の財政が苦しかったため、西郷家も貧しく、弟や妹とともに、西郷自身も傘の骨を作る内職に励んだ。食事もままならなかったが、身体が弱かった西郷に、母は鰹節の煮汁をよく飲ませたという。
地域の男子だけを集めた薩摩藩の教育システム「郷中教育」で学んだ西郷は、そこで自分より3つ年下の大久保利通と出会う。貧しい家柄のこの2人が、近代日本の出発点となる大改革を成し遂げるなど、当時は誰も想像しなかったに違いない。
それどころか、西郷は近所から厄介な子どもだと恐れられていた。
