つらい獄中生活で『言志四録』に光を見た

絶望のなか、西郷が読み耽った本が『言志四録』だ。 『言志四録』 とは、幕末の儒学者、佐藤一斎が書いた『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志てつ録』の四書の総称だ。

それぞれ執筆時期が異なり、42歳から11年を費やして書いたのが『言志録』、57歳から10年かけたのが『言志後録』、67歳から12年かけたのが『言志晩録』、そして、80歳から2年かけたのが『言志耋録』となる。

佐藤一斎は幕府の学問所である昌平黌しょうへいこうの儒官、つまり総長として、門弟3000人を育てたともいわれている。実に40年もかけて書かれた『言志四録』は、そんな一斎の後半生を凝縮した箴言録といえるだろう。

島で西郷は「このままここで人生が終わるのか」という苦悩もあったに違いない。そんなときには、『言志耋録』の次のような言葉が、西郷の心の支えになったことだろう(『[現代語抄訳]言志四録』佐藤一斎著、岬龍一郎訳、PHP研究所より)。

「人から中傷されようが誉められようが、得しようと損しようと、そんなものは人生の雲や霧のようなものである。ましてや、このようなもので心を暗くし、道を迷ってはつまらない。この雲や霧をさらりと払いのければ、よく晴れた青空のように人生は明るいものとなる」

高官たちが贅沢に走っても質素倹約を貫く

生きていれば、雨の日や曇りの日もある。人に褒められたかと思えば、一転して批判されることになったりもするが、一喜一憂するのはナンセンスだ。西郷はこの言葉から、いつでも平常心でいることを心がけたのではないだろうか。

『言志四録』に励まされながら、西郷が島でひたすら待っていると、薩摩ではイギリスと一戦を交えるという薩英戦争が勃発。大国相手に苦戦しつつも、若手藩士たちのグループ「精忠組」が活躍すると、藩内で「西郷待望論」が高まっていく。久光はかつて自分を愚弄した西郷の復帰を認めざるを得なくなった。

イギリス海軍による鹿児島への砲撃
イギリス海軍による鹿児島への砲撃〔画像=E. Roevens/『Le Monde Illustré』(1863年12月5日号)/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

その後、西郷が大久保とともに倒幕の中心メンバーとなったことを思うと、絶望のなかで西郷を支えた『言志録』は結果的に、明治維新の原動力となったといえそうだ。