最期の戦いでも肌身離さず持っていた

明治維新後も、『言志録』が西郷に及ぼした影響は大きかった。

西郷は『言志録』にある言葉のなかから、特に心に響いた101カ条を抜粋して書き写して『南洲手抄言志録』としてまとめている。『南洲手抄言志録』では、次のような言葉がセレクションされている(前掲書より)。

「私利私欲で頑張っている人を見て、志の実現を果たしている人と見てはならない」

明治政府の高官たちがぜいたくに走るなか、一人で質素倹約を貫いた姿勢、そして、仲間である士族のために立ち上がり、西南戦争で散った最期……。

まさに西郷は生涯をかけて『言志録』の実践者となったといってよいだろう。西郷は西南戦争のときにも、戦場で『南洲手抄言志録』を肌身離さず持っていたという。

1877年、西南戦争鎮圧のため横浜から出航する帝国軍
1877年、西南戦争鎮圧のため横浜から出航する帝国軍〔画像=The Illustrated London News(1877)/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

【参考文献】
西郷隆盛著『大西郷全集』(大西郷全集刊行会)
西郷隆盛著、山田済斎編『西郷南洲遺訓』(岩波文庫)
日本史籍協会編『島津久光公実紀』(東京大学出版会)
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌著『大久保利通傳』(マツノ書店)
佐藤一斎著、岬龍一郎訳『[現代語抄訳]言志四録』(PHP研究所)
真山知幸著『偉人 大久保利通』(草思社)
真山知幸著『本を読む人だけが、“自分の壁”を突破できる』(青春出版社)

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