2004年、近鉄とオリックスの合併をきっかけに球界再編騒動が起きた。選手会・野球ファンと対立する球団経営側の窓口として「悪役」を引き受けた瀬戸山隆三さんは、当時何を思っていたのか。ノンフィクションライターの日比野恭三さんが聞いた――。(前編)
野球場
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「あの写真、遺影にちょうどいいね」

白髪にスーツの男は、会議室の椅子に腰を落ち着けるなり、本気とも冗談ともつかないことを話し始めた。

「こないだの記事に載せていただいた、私一人の写真があったじゃないですか。あれ、家内と一緒に見ながら『遺影にちょうどいいね』と話してたんですよ」

関西訛りでそう言って笑ったのは、瀬戸山隆三である。別の企画でインタビューをしてから約1カ月が経ち、その記事が公開された直後のタイミングだった。「よかったら紙で焼いたやつをいただこうかなと」。飄々とした口調に、ますます冗談か本気か分からなくなった。

2004年、瀬戸山は球界再編騒動の渦中で経営側の労使交渉窓口を務め、世間から激しいバッシングを浴びた。あれから22年――。屈託のない表情が、過ぎた年月の長さを物語る。

だが、ひとたび往時の記憶を紐解き始めると、その瞳は、数々の修羅場を潜り抜けてきた実務家らしい冷徹な眼光を取り戻した。

騒動の1年前から水面下で進んでいた

2000年代初頭、パ・リーグ各球団は深刻な経営難に陥っていた。当時の球界においては半ば公然と“お荷物”とみなされ、身売りの噂が絶えない球団も一つではなかった。

「2003年から、そういう雰囲気はあったんです」。騒動が表面化するのは2004年6月、日本経済新聞がオリックスと近鉄による球団合併交渉をスクープしてからだが、その1年以上前から前触れはあったのだ。

2003年当時、瀬戸山はダイエーの球団代表を務めていた。各球団の代表者が集まる会議の席上、頻繁に議題に上っていたのが近鉄の動向だった。

「近鉄さんがとにかく大変だと。本体の立て直しが急務。野球どころではない状況だった」

数々の修羅場を潜り抜けてきた瀬戸山隆三氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
数々の修羅場を潜り抜けてきた瀬戸山隆三氏

親会社の近畿日本鉄道はレジャー事業の不振などから財政健全化に向けたリストラを迫られていた。毎年大きな赤字を垂れ流す球団にも厳しい目が向けられた。

それでも保有継続を念頭にさまざまな策が講じられた。その一つがアコムとの連携だ。2002年11月、推定2億円でスポンサー契約を交わしたのに続き、さらに踏み込んだ提携案が具体的に検討された。瀬戸山が言う。