渡邉恒雄を中心に密かに進んだ球界再編計画
「年間40億〜50億円の赤字のうち30億円ほどをアコムさんに出していただく案でした。その代わり、ユニフォームや本拠地・大阪ドームを含めて、アコム色がかなり強くなる。パ・リーグとしては『先立つものがなければどうしようもない。協力します』と後押しするスタンスでした」
30億円規模の提携とは、球団名称の命名権売却プランを指す。近鉄は2004年1月31日、同日の朝日新聞報道を追認する形でこの計画を公表した。しかし、セ・リーグ球団などから猛反発を受け、わずか5日後に撤回。近鉄が自助努力で生き残る道が、事実上閉ざされた。
同じ時期、球界中枢では「10球団による1リーグ制」への移行を見据えた地殻変動が始まっていた。
水面下に漂う不穏な空気がだんだんと濃くなるのを、瀬戸山は肌で感じていた。そして事態が動くにつれ、「ごく限られた人間による『密室』の議論で全てが決められている」との認識を深めていくことになる。
思惑を共有する面々が結びつき、外から見えない形で方針を固め、実行に移していく。中心にいたのは、球界の盟主たる読売の渡邉恒雄と西武の堤義明だ。そこにオリックスのオーナー宮内義彦が「引っ張り込まれた」と瀬戸山は見る。「密室」による差配の結果、宮内のもとに「近鉄を引き受けてほしい」との話が持ち込まれ、合意に至ったわけだ。
一握りのオーナーたちが描いたシナリオは、それだけにとどまらなかった。
大物政治家も「密室」の謀議に参加
標的となったのは、かねて身売りの噂が囁かれていたダイエー。その統合相手として浮上したのがロッテだった。
この件には、「密室」に名を連ねるもう一人の重要人物が深く関わっていた。ロッテ球団社長の濱本英輔。ロッテグループは、土地対策をはじめとする税務・経営上の事情から、国税庁の要職経験者を役員として迎え入れることを常としていた。2003年にロッテ本体の副社長に就任し、翌年、球団社長の座に就いた濱本もまた、元国税庁長官という異色の経歴を持つ男だった。
かたや瀬戸山は2003年限りでダイエーを退団後、2004年2月にロッテ球団代表に就任した。必然的に濱本とは近い関係となり、球界再編騒動の間も行動を共にすることが多かった。
「濱本さんは、いわば『お上』の人。私は一緒にナベツネ(渡邉恒雄)さんのところへ行ったこともありますが、お上ですから、立場はナベツネさんより上なんです。やはり国税庁長官というのはそれほど凄いんですよ」
ナベツネに対等以上に渡り合えるほどの発言力を持つ濱本。さらに、時の政権中枢にいた大物政治家も「密室」の謀議に参加していたという。メディア、鉄道、財界の巨頭たちに、官僚機構と政治権力のトップが加わる。それは、外野の声など一顧だにしない、まさに「無敵」の陣営と言えた。
瀬戸山を球界再編の濁流へと巻き込んでいったのは、ほかでもない濱本だった。

