廃棄弁当で食いつなぐ日々
それでも鈴木氏の気持ちは揺るがなかった。1997年4月、「伊勢角屋麦酒」をスタートさせた。
オープン当初は地ビールブームの追い風もあり、ビールは造れば造るほど売れた。併設したビアレストランも毎日大盛況だった。しかしその熱狂は長くは続かなかった。半年後には潮が引くように客足が遠のいていった。
本業の餅店の売上が1億円程度だったにもかかわらず、ビール事業の設備投資に2億円以上をつぎ込んでいた。借金は膨らみ、自分の給料すら出なくなった。そんな状況が3年近く続いた。
「当時はそれなりに貯金があったので、その貯金を食いつぶして何とか生活を維持していました。しかし、貯金が少なくなってくると、もうなりふり構っていられなくなったのです。コンビニエンスストアも経営していたので、廃棄する弁当やデザートを食べて日々の生活を凌いでいました。散髪にも行けないので、毎回妻にバリカンで切ってもらっていました。妻には本当に迷惑をかけたと思います」
450年以上続いた老舗を自分の代で潰してしまうのではないか――。経営者としての経験も知識もない鈴木氏は、自身が始めた新事業によって、追い詰められていった。
「金賞を獲っても全く売れなかった」
どん底から抜け出す策として、鈴木氏が出した結論は、「国際大会で賞を獲ること」だった。いいビールさえ造れば必ず売れる――そう信じ、まず審査員の資格を取ることから始めた。国内大会、海外大会と資格を取得し、審査員として数多くのビールに触れながらレシピ開発を続けた。
そこから6年後の2003年、オーストラリアの国際大会Australian International Beer Awardで金賞を獲得した。しかし、鈴木氏の予想に反して、そのビールはまったく売れなかった。
「賞さえ獲れば絶対に売れると信じていました。しかしそんな賞は消費者からすれば何の意味もなかったのです。当時は市場や顧客のことが全くわかっていませんでした」
「社員がかわいそう」13時間の説教が変えたもの
そんな行き詰まりの中で訪れた転機が、九州でレストラン事業を展開していた元岡健二氏との出会いだった。知人からの紹介で経営指導を受けることになったが、到着して早々、ダメ出しの連続だった。朝10時から夜11時まで、実に13時間にわたって懇々と指導を受けた。
「一番堪えたのは、『そんな状態で雇われている社員さんたちがかわいそうですよ』と言われたことです。もう本当におっしゃるとおりで、ぐうの音も出ませんでした。ただでさえ本当に苦しくて、長い間苦しい状態が続いていたうえに、まさに泣きっ面に蜂でした」


