戦国の世とはいえ、不憫すぎる

噂を信じて信澄を討ったのは、織田信孝と丹羽長秀、そして蜂屋頼隆だった。信長の息子、そして信頼厚い宿老が、いっせいに信澄へ「あいつならやりかねん」と襲いかかったのである。

しかも信孝は、信澄とともに四国へ渡るはずだった四国遠征軍の総大将。長秀は、家康接待を共に命じられた同役である。つまり信澄は、つい数日前まで轡を並べていた上司と同僚の手で討たれた。一緒に船に乗るはずだった相手が、数日後には自分を斬りに来たのだ。

そして英俊は、最初こそ「雑説歟(ただの噂だろうか)」と疑いを残していたが、後から余白に「必定必定(いや、確実な事実だった)」と書き加えている。奈良の学僧の中でも、信澄のクロは、こうして確定として上書きされた。

いくら誰も信用できない戦国の世とはいえ、信澄が不憫すぎるだろう。

信長に愛されたことが、信澄を殺した。

謀反人の子として生まれながら、その才ゆえに異例の出世をとげた男は、最後は謀反人の子ゆえに疑われて死んだ。生きては「織田」を名乗り、死しては「津田」と呼ばれて。

第25回(6月28日)の放送で、秀吉に持ち上げられる信澄を見たら、そのことを思い出してほしい。この男に残された時間は、もうわずかしかない。そして、その最期まで描かれるのかどうか――今年の大河は、これまでの作品がだいたい端折ってきた、この理不尽の一部始終に、どこまで踏み込むのだろうか。

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