信長の見事なまでの手のひら返し
長宗我部元親は、この馬揃えに5年余りさかのぼる天正3年(1575)9月、四万十川の戦いで土佐一条氏を破り、土佐(高知県)一国を完全に統一していた。次はいよいよ四国全土の攻略だったが、そこで元親に手を差し伸べたのが信長だった。
それは信長一流の戦略にもとづいていた。そのころ信長は大坂本願寺(大阪市中央区)と戦っていたが、阿波(徳島県)の三好氏が物資を搬入するなど、本願寺を後方支援することに手を焼いていた。そこで元親を助け、三好氏を討伐させようと考えたのである。天正6年(1578)10月には、元親が四国全土を攻略することを容認し、その嫡男に「信」の1文字をあたえて信親と名乗らせた。
このとき元親の取次を務めたのが明智光秀だった。元親の事績を記した『元親紀』によれば、元親の妻は、光秀の重臣として知られる斎藤利三の義理の妹だったため、光秀が取次に選ばれたのだという。
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