宇喜多氏の調略で“信長は強い、毛利なんてダメ”
だから、官兵衛は登場早々から大活躍だ。例えば、秀吉に仕えて間もない官兵衛が信長より朱印状を得て、宇喜多氏(文中では浮田)の調略にあたった事蹟では次のように記されている。
然る所に孝高手立を廻らし、ひそかに浮田へ申遣されけるは、輝元大身なれ共、天下を取べき力量なくして、我分国の外に手を出す事成難し(中略)只今の時勢を考るに、信長既に天下の都を領して、四方に下知をなし、分国多くして敵国次第に帰服し、殊に、武器勝れ、其下の大身なる士にも武勇の名有者多し。旁以て当代の天下の主と可成人なり。(中略)
宇喜多直家家老を集め、此事いかがあるべきと詮議せられけるが、君臣共に皆孝高の異見に随て、毛利家を背て、信長へ属したるが宜しかるべしと議定し、家臣花房志摩守を使者として、孝高を頼み、信長公へ降参を乞ければ……(貝原益軒 編著『黒田家譜』歴史図書社、1980年)
筆者訳
そうしたところ、官兵衛(孝高)は策を巡らし、密かに宇喜多直家へと(次のような書状を)送り届けた。
「毛利輝元は大名としては大勢力ですが、天下を取るほどの器量(実力や器)はありません。ですから、自国の領国(中国地方)の外にまで勢力を伸ばすことなど到底不可能です。(中略)
現在の天下の情勢を考えますに、織田信長公はすでに天下の中心である京都を支配し、四方の諸大名に命令を下しております。織田の領国は増え続け、敵国は次々と降伏しており、特に織田軍の武器(鉄砲など)は優れ、その配下にある大身(有力)な武将たちにも、武勇の誉れ高い者が大勢揃っています。これらを総合して考えれば、信長公こそがまさに現代の『天下の主』になるべき御方(勝ち組)なのです」(中略)
これ(官兵衛からの手紙)を受けた宇喜多直家は、家老たちを集めて「この件をどうすべきか」と会議を開いた。すると、主君(直家)も家臣たちも全員が、ことごとく官兵衛の意見(時勢の分析)に納得し、「毛利家に背いて、織田信長公に味方するのが最善である」と決定した。
そして、宇喜多家の家臣である花房志摩守を使者として派遣し、官兵衛を仲介役として頼み込んで、信長公への降伏を願い出たのであった……。

