NHK「豊臣兄弟!」では、竹中半兵衛の死後、黒田官兵衛が秀吉を支える軍師として描かれる。官兵衛はかつて大河ドラマの主人公になり、“天才”のイメージが根強いが、それは本当なのか。ルポライターの昼間たかしさんが、史料をもとに実像に迫る――。
画名「如水居士像」
画名「如水居士像」。黒田孝高(黒田官兵衛、黒田如水)。日本の戦国時代から江戸時代にかけての武将。大名。豊臣秀吉の軍師。(写真=崇福寺所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

天才軍師イメージは“黒田家の3代藩主”発

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。半兵衛(菅田将暉)の死後、6月21日放送の第24回からはいよいよ官兵衛(倉悠貴)が実力を発揮することになる。秀吉を支えた軍師として歴史に名を残す男だが、その生涯には、しくじりもけっこう多い。

6月14日放送の第23回では、荒木村重(トータス松本)を説得するために有岡城に乗り込んだのはよいが、捕らえられて幽閉。おまけに、織田のほうでは裏切ったのではないかと疑われて、家族を処刑されそうになっている。

その生涯の後半、関ヶ原の戦いにおいては、戦乱は長く続くと判断。東軍として九州に勢力を拡大しようとするが、短期間で決着がついてしまったために野望は潰えた。その後、福岡藩は幕末まで命脈を保ったのだから、終わり良ければすべてよし……ではあるけど、天才軍師にしてはミスりまくりである。そんなミスだらけの男がなぜ、秀吉の軍師として出世することができたのだろうか?

そもそも、官兵衛が半兵衛亡き後の秀吉を支えた天才軍師……という見方は疑ったほうがよい。このイメージの源流となっているのは『黒田家譜』である。これは、3代藩主・黒田光之の命により、儒学者・貝原益軒が編纂したもので完成したのは1688年のことである。

福岡藩主黒田光之の肖像画
福岡藩主黒田光之の肖像画(写真=福岡市博物館/PD-Japan/Wikimedia Commons

つまり、現場を知った上で記した史料ではない。かつ、藩主の命で公式にまとめられた黒田家の歴史なのだから、当然バイアスが入っている。それも、いかに当家は素晴らしい業績をあげてきたかという感じで……。