「厨房がステージみたい」とラーメン店にほれた夫

田中さんは千葉県佐倉市出身。高校卒業後は成田空港で、飛行機の清掃の仕事をしていた。

だが、次第に「この仕事は他の人でもできる」と感じるようになった。自分にしかできない何かを身に付けたい。そんな思いが膨らんでいった。

その頃から、東京のラーメン店を食べ歩くようになった。

もともとラーメンは好きだった。ただ、当時はマニアというほどではない。友人と空いている時間に食べに行く程度だった。転機になったのは、東京・上野の「麺屋武蔵 武骨」だった。

「厨房がステージみたいに見えたんです。働いているスタッフがめちゃくちゃカッコよくて」

ラーメンの味だけではない。照明、空気感、立ち振る舞い。そのすべてが輝いて見えた。

「自分もここで働きたい」

店を出たその足で、面接の電話をかけた。

2004年頃、21歳で飛び込んだラーメン業界。最初は「麺屋武蔵 新宿本店」に配属され、その後「武骨外伝」などで2年半の経験を積んだ。その中で、ふつふつと独立への想いが湧いてくるようになった。

店主の田中宏樹さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
店主の田中宏樹さん

独立に反対した妻“夫の夢より、子供たちの生活”

次に選んだのは、意外にもラーメン店ではなかった。阿佐ヶ谷のミートパスタ専門店「ミート屋」。カウンターのみの小さな店で、どんぶりスタイルのパスタを出す個人店だった。

「ラーメン屋っぽかったんですよね。作り手とお客さんの距離感とか、自分がやりたい形に近かった」

ここでは9年働いた。個人店のお店の運営や店つくりなどを学び、充実した日々だった。

だが、この頃は苦しかった。パスタ屋で働きながら、ラーメンへの思いは次第に大きくなっていく。忙しさのあまり、家庭に割く時間は少なく、妻と自分の心の距離がいちばん遠い時期でもあった。体力的にも精神的にも追い込まれていた。

その姿を、奈実さんはずっと見てきた。

二人が出会ったのは、「麺屋武蔵 新宿本店」時代。交際からわずか数カ月で妊娠が分かり、そのまま結婚した。

仕事で火傷をして帰ってくる夫の手当てをした。疲弊して「無」になっていく姿も見た。

だからこそ、奈実さんは独立に反対し続けた。

「私は、守らなきゃいけない生活があったので」

夫の夢より、まず子供たちの生活。それが現実だった。

“夫の夢より、子供たちの生活” 反対し続けた妻の奈実さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
“夫の夢より、子供たちの生活” 反対し続けた妻の奈実さん