夫「店をやらせてくれないなら、離婚しようかとも」

実は田中さんは、結婚前から奈実さんに言っていた。

「俺はラーメン屋を開きたい」

奈実さんの実家へ結婚の挨拶に行く前、新宿駅のうどん屋でそう伝えたという。

だが、奈実さんはまったく覚えていない。

「それどころじゃなかったんですよ(笑)。親に何を言われるんだろうって、それで頭がいっぱいで」

田中さんからすれば「大事な話をした」のに、奈実さんにとっては記憶にも残っていなかった。

その後も、夫が「店を出したい」と言うたびに反対した。しかも、パスタ屋時代に自宅で試作していたラーメンが、ことごとくおいしくなかった。

「“俺、ラーメン屋やりたい”って言うのに、出てくるラーメンが全然おいしくないんですよ(笑)。“ふざけんな、うまいもん作ってから言ってくれ”って」

当然、夫婦喧嘩になる。田中さん自身も追い詰められていた。

「店をやらせてくれないなら離婚しようかな、って思ったこともありました」

夢を諦めたくない夫と、家族を守りたい妻。何度もぶつかった。

子供たち「パパ、夢を実現するんだね。カッコいいね」

そんな空気が変わったのは、今から10年ほど前、「カッパ64」で働き始めてからだった。

福生にある人気店「カッパ64」は、限定ラーメンの発想力で知られる店だ。アナゴの天ぷらを一本乗せたつけ麺など、一見奇想天外な限定商品が次々に生まれる。田中さんは、そこで自由に限定麺を作らせてもらった。

「毎日すごくキラキラして帰ってきたんです」

奈実さんはそう振り返る。パスタ屋時代とは明らかに違った。失敗しても前向きで、生き生きしていた。

そして決定打になったのは、独立を決めた時の子供たちの言葉だった。当時、中学2年生と小学5年生。

「パパ、夢を実現するんだね。カッコいいね」

その一言で、奈実さんの気持ちが変わった。時代はコロナ禍で、家族の在り方を考えさせられる時間が増えた頃だった。「やりたいことは挑戦させたほうがいい」。生活を守るために反対してきたが、子供たちは父親の挑戦を誇りに思っていた。

「夢を叶える背中を見せるって、すごくいいことなんじゃないかって思えたんです」

ようやく、夫婦が同じ方向を向いた瞬間だった。

(左)店主の宏樹さんと(右)妻の奈実さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
(左)店主の宏樹さんと(右)妻の奈実さん