まだ私の時間は進むから、生きていける

未来が見えなくなった話

私には未来が見えていた。
どうしても行きたかった高校に通っている自分の姿、家族旅行で楽しんでいる姿、楽器の演奏をしている姿、見える未来はすべて実現できた。
私には未来予知能力があるわけではない。
日常の中で未来の自分の姿を想像する瞬間がある。
その中でもよりはっきりと想像できる姿があった。
それが私にとって未来が見えるということだった。
高校卒業後すぐにがんが見つかった。
医師も知らないと言うような希少ながんだった。
ネットで病気について調べたが希少な病気ゆえに情報は乏しく、閲覧できる数少ない情報にも絶望的な記述しかなかった。
手術をしたが、数カ月後にすぐ再発した。
初発の時とは違い根治は難しいかもしれないと言われた。
がんによってお腹は妊婦の様にぽっこりと出て食事も取れなくなった。
入院中に倒れてこのままでは死にますと言われた。
万一のときは遺体を傷つける結果になるだけだからと、次は心臓マッサージをしないと父が同意書にサインをした。
この頃から未来が全く見えなくなった。
明日生きてご飯を食べている、テレビを見ている、ゲームをしている、そんな些細なことすら想像できなくなった。
無論1年後、5年後、10年後自分が生きている姿すら全く見えなくなった。
今寝たらもう二度と目覚めることはないのではないか。
どこに進むべきか何をすべきか何も分からない。
幸運にも薬物療法も効果があり、根治手術までこぎつけた。
退院してしばらくしてから共に入院していた友人達が相次いで亡くなった。
実感がわかなかったが、それから半年経ったころに突然眠れなくなった。
急に涙が溢れてきて止まらなくなった。
一日中ベッドの上で壁を見てすごした。
トイレに行くのもご飯を食べるのも全て面倒くさくなった。
スマホを触る気力すらなかった。
電車に乗ると震えが止まらなくなった。
毎日亡くなった友人の顔が浮かんできた。
自分がどこかおかしくなってしまった自覚があった。
病院のホームページを見るとがん患者のための精神科があることを知った。
自ら主治医に電話して予約をとってもらった。
先生は何も聞かずに予約をとってくれた。
精神科に通い始めて薬の力で寝られるようになった。
話を聞いてくれる人もできた。
先生がやりたいことをやればいいと言ってくれたのでやりたくないことは全部やめてバイトを始めた。免許もとった。
今もまだ未来が見えない。
5年後、10年後に自分が生きている想像は全くできない。
それなのに再発して転移して死にゆく自分の姿は容易に想像ができる。
ただ、明日友達とご飯に行っている光景、半年後好きなバンドのライブを楽しんでいる姿、少しずつ想像ができるようになってきた。
最近時計を新調した。
7年前手術をした特別な日だった。
その時の店員さんが今日からまたこの時計と共に時を歩んでいくのですねと言ってくれた。
ありふれた言葉だろうけどもとても嬉しかった。
まだ私の時間は進むんだ、生きていけるんだと思えた。
いつかまた未来が見える日がくるのだろうか。
あるいは二度とないのかもしれない。

それでも私は生きていく。
未来に明かりがあることを信じて。

太陽の光を遮る手
写真=iStock.com/KittisakJirasittichai
※写真はイメージです

私はこの詩に、彼女の今までの物語を感じた。そして、その物語をもっと詳しく知りたくて、「これはどんなことを指しているの?」などと詳しく質問を重ねていった。

上級生から浴びせられた「バカ」「死ね」

未来が見えていたということに込められていた意味は、次のようなことだった。

加茂さんは、公立の中学校を卒業しているが、学校生活はかなり過酷だったらしい。その学校は上下関係が非常に厳しく、たとえば「セーラー服のタイは上級生にならないと短くできない」といったような、謎のルールがあったそうだ。

もし下級生がそのルールを破ってタイを短くしていると、上級生に呼び出され、「お前なに調子に乗ってるんだ」と、きつく脅迫されるような環境だった。

その状況の中で、彼女は天然パーマが強く、まったく願っていないことだったが、その身体的特徴からとても目立つ存在だったそうだ。

自分には何も落ち度がないはずなのに、生まれつきの容姿で上級生から目をつけられ、「バカ」「死ね」などのひどい言葉を投げつけられ続け、空き缶を投げられたこともあった。

彼女はそんな理不尽な環境から脱出したくて、自由な校風の学校にあこがれた。ほんとうは海外の高校に行きたかったが、経済的にさすがに難しいとのことで、国際交流も活発な某高校を目指し、見事そこに合格した。