根治が難しい病気に罹った患者のこころの内はどのようなものか。がん研究会有明病院腫瘍精神科部長の清水研さんは「私の外来を受診している加茂あかりさんは高校3年のときに希少ながんに罹患してから、全く未来が見えなくなったという。その気持ちをのせた詩を私に見せてくれた。それでも未来に明かりがあることを信じて、生きていくと書かれていた」という――。

※本稿は、清水研『こころの傷つきをなかったことにしないでください』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

窓に雨滴、手前に本
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希少がんに罹患した20歳予備校生との出会い

加茂あかりさんは高校3年生のときに体調が悪くなり、その後「肝未分化胎児性肉腫」という、非常に希少ながんに罹患していることがわかった。

約1年間にわたる治療を受けたが、その間にはほんとうにいろいろなことがあって、あと一歩のところで死に至っていたかもしれなかった。

治療が終わり、やっと体調が戻ったため、彼女は20歳のときに大学を目指して予備校に通いだした。そのとき高校で机を並べていた同級生のほとんどは大学3年生になっていた。

それからしばらく経って、彼女が私の外来を初めて受診した。それが加茂さんとの最初の出会いだった。

診察室に入ってきた彼女は、髪は明るい色にカラーしてあり、ファッションに興味がない私にはよくわからないが、とってもオシャレな若者という印象を受けた。不思議だったのは、自ら希望して受診したはずなのに、ぶっきらぼうな様子で、私には視線もあまり向けなかったことだ。

そのときのやりとりを詳しく覚えてはいないが、心境を尋ねても、「別に~」「大丈夫ですよ~」などと軽くかわされたような感じがあった。この人は何を求めてここに来たのだろうかという疑問が浮かび、私の気持ちは「?」という感じだった。

しばらくこのような不可解なやりとりが続いた後、加茂さんから「精神腫瘍科って変な名前ですね」などと、軽いジャブのような、ディスる(=揶揄する)言葉があった記憶がある(当時勤めていた国立がん研究センター中央病院では、私の部門は精神腫瘍科を標榜していた)。