「精神腫瘍科」という名へのコンプレックス
実は私も、「精神腫瘍科」という名前にはコンプレックスがあった。私が勤めている病院に通う患者さんは、自分にとって最良のがんの治療を受けることは強く希望しているが、こころのケアについては希望しない人も多い。
しかし、本人が望んでいなくても、主治医が本人のメンタルの状態を心配して精神腫瘍科を勧めることがある。そうすると、主治医の厚意を無にしたくないと、患者さんは気乗りしないのにしぶしぶ受診するのだ。
そのような人にとって私は招かれざる客であり、最初に「精神腫瘍科の清水です」と名乗ると、「ついに俺は精神にもがんができてしまったのか」と皮肉交じりに言われた経験が何度かあった。
たとえば脳腫瘍は脳にできた腫瘍、乳腺腫瘍は乳房にできた腫瘍を意味するように、精神腫瘍というと、精神にできたがんという解釈も成り立つ。しかし、本来の精神腫瘍という言葉はPsycho-Oncology(psychoはこころ、oncologyはがんを意味する)の訳語というルーツがあり、がんとこころについての学問を指す。
加茂さんに自分のコンプレックスをズバッと突かれて、私は一瞬傷ついた。ただ、精神科医として本心を隠すトレーニングはずっとしてきたので、そのことはこころの奥にそっとしまうことができた。
そして、加茂さんの言葉や態度は、思春期にはときどきある、大人に頼りたい気持ちと、信頼できないのではという猜疑心が同居しているからなのだろうと冷静に咀嚼したうえで、「精神腫瘍科という名前、確かに変かもしれないね」と穏やかに返事をした。
担当医になり5年、初めて見せてくれた詩
おそらく彼女は、私が自分のことを傷つけない人間なのか、安心して気持ちを打ち明けられる人間なのかどうかを試したのだろうと想像する。
そして、このとき私が苛立たずに、彼女の言葉に応じることができたからだろうか、その後も私の外来の通院を継続することになった。そこからかれこれ5年以上が経つ。
彼女の少し尖った感じのトーンは変わらないし、「今日は何もない。薬ちょうだい」みたいに短く診察が終わることも多い。一方でときどきだが、「最近マジつらい」とか、「友達と食事に行くと体調悪くならないか心配」などと、徐々に自分の気持ちを話すようになった。
そして、私が加茂さんの話をよかったら文章に書いてみたいと伝えたことがきっかけだったと思う。彼女の今までの気持ちをのせた詩を、ある日私に見せてくれた。

