日銀の刷ったマネーがアイスランドを狂わせた
FRB(連邦準備制度理事会)議長を務めたアラン・グリーンスパン氏が6月22日、100歳で亡くなった。5期18年半の間にアメリカは景気を拡大し、その手腕は「マエストロ」と称された。その功績を分析し、現在の日本の金融財政政策を考えてみたい。
グリーンスパン元FRB議長を評価するなら、「ケインズ経済の顔をしながら、ボーダーレス経済を実践した初めての中央銀行トップ」だろう。
ケインズ経済は20世紀に世界を席巻した、政府の財政支出と中央銀行の金利操作で経済はコントロールできるとする経済理論。景気が過熱気味なら金利を上げて冷やし、悪ければ国債を発行して財政支出で有効需要をつくる。
ただ、ケインズ経済には大きな欠陥がある。ケインズ経済に基づいた政策は閉ざされた環境の中でのみ効果的であり、国境が限りなく低くなってモノやカネ、ヒト、情報などあらゆるものが交差するボーダーレス経済のもとでは逆回転していくのだ。
日本はバブル経済崩壊で1990年代に金融緩和政策に舵を切り、日銀は99年にはゼロ金利、2001年には量的緩和を始めた。まさにケインズ経済に基づいた景気刺激策だ。
しかし、たくさん刷った円は国内で使われなかった。低金利ゆえに海外の金融機関が日本で円を借り、外貨に換えて金利の高い国に投資する円キャリー取引が発生。たとえばアイスランドでは00年代半ばに住宅バブルが起きた。直接の原因は銀行が海外からの借金を膨らませたことで、3大銀行の総資産はGDPの10倍近くに達した。だが、その原資は日銀の量的緩和に行きつく。政策金利が10%を超えたクローナは、円キャリー取引の標的になり、欧州で発行されたクローナ建て債券は日本の投資家にも売られた。日銀の政策は日本ではなくアイスランドの景気を刺激した。ボーダーレス経済では国境を超えマネーが動くため、ケインズ経済の理論どおりに事が運ばないのだ。
話を戻す。グリーンスパン元FRB議長が秀逸だったのは、景気後退期には大胆に利下げする一方、金利を長くゼロ近辺に張りつかせることはなかった点である。ゼロ金利に向かっていた当時の日本と比べれば、明らかに高い水準だった。その結果、世界中、とくに欧州や中南米、日本からマネーが殺到した。まさにボーダーレス経済だ。大量のマネーが流入したことで景気が刺激され、1990年代のクリントン政権時代には株価は約3倍まで上昇。立役者の一人は間違いなく、グリーンスパン元FRB議長だった。
本人がボーダーレス経済を意識していたかどうかは不明だ。私が「ハーバード・ビジネス・レビュー」で『The Borderless World』を発表したのは89年。それからボーダーレス経済の概念が世界的に注目を集めるようになったが、グリーンスパン元FRB議長がそれについて直接言及したことはない。
レーガンが泥をかぶりクリントンが実を得た
高金利で経済を伸ばすのに欠かせない条件がある。大胆な規制緩和だ。国境を超えてマネーが流れ込んできても、使いみちがなければ貯蓄に回ってしまう。投資そして消費により多くのマネーを回すには、規制緩和して新たな市場をつくり出さねばならない。
グリーンスパン元FRB議長の金融政策がうまくいったのも、背景に70年代末から続く規制緩和がある。カーター政権が航空や陸運、金融で自由化に着手し、レーガン政権がそれを一気に押し広げた。「運輸」「通信」「金融」の3分野で、緩和というより規制そのものを撤廃するレベルの激しさだった。
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