失敗を美談に変換する組織は、失敗から学べない――。戦争から私たちが本当に学ぶべきこととは何なのかを、「軍神」という美談から紐解く。

英雄は死後に神格化され国民もそれを求めた

わかりやすい物語が、人を惹きつける――。SNSや動画サイトでは「5分でわかる」「真実はこれだ」といった、善悪を単純化した物語のほうが拡散されやすい。それはいまも戦時中も変わりません。戦時中は、作戦の失敗すらも美談にすり替え、戦意を支える物語として利用してきました。

片山杜秀さん
片山杜秀 Morihide Katayama
1963年、宮城県仙台市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。慶應義塾大学法学部教授。専攻は近代日本政治思想史。『未完のファシズム――「持たざる国」日本の運命』で司馬遼太郎賞を受賞。

その象徴が「軍神」です。

そもそも軍神とは、日本軍や政府が正式に認めた称号ではありません。軍神とは、軍の広報やマスコミが、英雄的な死に方をした軍人を称えて、社会に広めるために使った呼称です。軍神になったからといって、特別な年金が出るわけでもなかった。

近代の軍神の登場は、日露戦争にさかのぼります。英雄的な戦死を遂げた海軍の広瀬武夫と陸軍の橘周太が、軍神と呼ばれました。本や唱歌がつくられ、教科書にも取り上げられて、神社や銅像が建立されました。

日露戦争が生んだ2人の軍神が果たした役割は、勝利の戦争の象徴として、記憶を国民に共有させること。もっとも近代戦の勝敗を左右するのは、数量的な分析や複雑な作戦であり、一人の英雄の働きではありません。

東郷平八郎の連合艦隊が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を何隻沈めたか。参謀の秋山真之さねゆきがどんな作戦を立てたのか……。一般の国民にとっては分析や作戦はわかりにくい。国民が求めていたのは、源平合戦や戦国時代のようなわかりやすい英雄譚です。そうしたなかで、部下の身を案じ、その名前を叫びながら亡くなった広瀬や、側近として仕えた大正天皇の誕生日に戦死した橘は、わかりやすい英雄譚として、広く受け入れられました。

軍神は、愛国心を盛り上げる軍部のプロパガンダと理解されがちです。もちろんプロパガンダの装置だったのは間違いありません。同時に、国民側も軍神を求めました。いわば、軍部と国民の相互作用が軍神を生んだといえます。その傾向がより顕著になるのが、日中戦争です。

「いかに死ぬか」を説いた戦中ベストセラー『大義』

盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまったのは、1937年7月7日。日露戦争の33年後のことです。

日露戦争でもたくさんの犠牲者が出ましたが、日中戦争はそれ以上でした。加えて、日清戦争や日露戦争、満州事変は短期間の戦いでした。しかし日中戦争は41年に太平洋戦争に発展して、終戦の45年8月15日まで続きます。

長い戦争の時代に若者たちを中心に読み継がれ、130万部の大ベストセラーになったのが、軍神となった杉本五郎が書いた『大義』です。

(取材・文=山川 徹)