昨年7月、オウム真理教事件の13人の死刑確定者に対し、死刑が執行された。なぜこの時期に一斉に行われたのか。政治学者の片山杜秀氏は「死刑執行が改元直前となったのは偶然ではない。オウム真理教事件は平成年間と同じ『31』という数字に彩られている」と指摘する――。(第8回)

※本稿は、佐藤優、片山杜秀『平成史』(小学館)の「文庫版まえがき」の一部を再編集したものです。

オウム真理教の元代表松本智津夫死刑囚らの刑執行を報じる号外=2018年7月6日、東京都港区(写真=時事通信フォト)

「31」の数字から読み解くオウムと平成

どの時代にも、時代を象徴する数字というものが幾つも見いだせるでしょう。平成期を表すのにふさわしい数字も、いろいろあると思います。しかし、それらの数字の真打は、やはり「31」ではないでしょうか。平成が31年までということもあります。けれど、そこに少しだけ前にずれて折り重なる別の「31」があるのです。

2018(平成30)年7月6日と26日の2日に分けて、合わせて13人のオウム真理教事件の死刑確定者の刑が執行されました。「13」は「31」の裏返しではありますが、これは偶然でしょう。教祖の麻原彰晃こと松本智津夫が絞首刑になったのは初日の6日です。

オウム真理教事件と総称される事件には、数々の出来事が含まれます。その最初のものとして一般に知られているのは、修行中のひとりの信者の死亡事故というか一種のしごきの果ての死を徹底的に隠蔽した事件で、それが起きたのは1988年9月22日。つまりまだ昭和。昭和63年でした。

この日付が興味深いのです。事件のきっかけは修行中の信者が暴れだしたことだといいます。麻原の命令で、信者たちは、問題の暴れる信者を浴槽で冷水に漬けた。おとなしくさせようとしたわけでしょう。が、おとなしくなる次元では済まなかった。問題の信者は意識不明に陥り、ついに死に至ったといいます。

元号の終わりに己の余命を重ね合わせた

その日に信者が暴れ出したのは、偶発的な出来事であったのかもしれません。けれど、9月22日とは、日本が異様な緊張に包まれていた時期であったことが、ここで思い出されてもよいでしょう。その3日前の9月19日、昭和天皇が一時重体に陥ったとのニュースが報道され、ちょうどソウル・オリンピック開催中であったけれど、テレビはオリンピック中継を中断して、特別番組を流したりしました。容体が回復しなければ、代替わりと改元の可能性がただちにあったからです。

昭和がいよいよ終わろうとしている。秒読みが始まった。いつ改元となるかは神のみぞ知る。日々是緊張。昭和が終わるとは、昭和天皇の肉体の死以外にありえない。皇室典範の定めです。滅びと新生。そのドラマを国民的に体験する日々が9月19日に始まった。そう言えます。

昭和天皇の体調が連日報道され続ける。日本がそんなモードに入った3日後、一連のオウム真理教事件が、まだひそかにではありましたが確実に始まったのです。

そこにはやはり「王の死」のイメージが関連しているでしょう。麻原が自らの健康不安を周囲に述べ、余命が幾何(いくばく)もないから、早く教団の今後、人類の未来のことを考えなければならないと積極的に言い始めたのは、1988年10月頃とされています。

最初の事件の直後です。そして、昭和天皇のいのちが消えようとする、その重圧が、日本をすっかり包んだ時期と、完全に一致しております。麻原彰晃という、健康に自信を失っていた一新興宗教の教祖は、日本国の大神主とも呼ばれる天皇が衰えゆくことに、自らを重ね合わせるところがあったのでしょう。