昭和史をなぞるように形成された終末観

昭和の新帝即位→対外的危機意識の高まり→軍事的冒険主義→敗戦→長い戦後(アメリカの占領と平和国家への試行錯誤)→昭和天皇崩御。昭和史をこのような段階分けで描けるとすれば、オウム真理教史は次のようになるでしょう。

オウム真理教誕生→対外的危機意識の高まり(米軍やその手先としての日本国家の教団に対する攻撃という妄想)→軍事的冒険主義(教団の武装化とテロ実行)→敗戦(摘発)→長い戦後(国家の監視のもとでの後継教団の平和的生き残りへの試行錯誤)→麻原らの死刑執行。

そう思ってみれば、オウム真理教の歴史は、昭和の終わりから平成にかけて、昭和史をかなりよくなぞるかたちで平成史に参与したのではないでしょうか。そういう理解の仕方もあると思います。

とにかく平成が始まると、オウム真理教は破滅的な進軍をエスカレートさせてゆきます。坂本堤弁護士一家を殺害するのが1989(平成元)年11月。武器製造のための工作機械を獲得すべくオカムラ鉄工を乗っ取るのが1992(平成4)年9月。サリン製造のためのプラントを建設しだすのが1993(平成5)年11月。

その製造物の効果を実験した松本サリン事件が1994(平成6)年6月。公証人役場事務長拉致監禁致死事件が1995(平成7)年2月。そして地下鉄サリン事件が同年3月20日。麻原逮捕は同年5月。この最終局面には同年1月の阪神淡路大震災が影を落としてもいるでしょう。

天皇とアメリカと災害。オウム真理教の終末幻想は、平成史のみならず日本近現代史の主成分にたっぷり培われているのです。

平成とオウム史は同じ「31」年だった

はて、「31」はどうしたのでしょうか。実は、オウム真理教が前身のオウム神仙の会から真理教へと改称したのが1987(昭和62)年でした。そこから地下鉄サリン事件まで8年。さらに麻原ら13人の死刑までは23年。31年経っているのでした。もちろん平成の31年は序数ですから、死刑の年は「オウム真理教暦」というものがあれば32年ですけれども、信者死亡事件の年から数えると序数でも31年になります。

平成とオウム真理教が同じ「31」。ある意味、当然です。昭和の終わりと「王の死」をいよいよ意識するところからオウム真理教の破滅的性質が顕在化したとも考えられますから、改元時期がオウム真理教の過激化と重なるのは当たり前。平成の終わる前に、新天皇即位に伴う恩赦があるとしても、そこにオウム真理教の死刑囚の問題を絡めたくないので、改元前、少し早めに死刑執行してしまうのは、国家の論理として当たり前。

昭和の終わりに生まれ、平成の終わりに死す。平成史はこのように「オウム史」としても語れてしまうのです。