冷酷な処断によって人心が離れたか

「第一次上月城の合戦」の際、城内には兵士以外にも非戦闘員約200人も避難していたという。数カ月の籠城を経て、城主の正範は裏切った城兵に討たれる。その首を秀吉に差し出し降伏することで、城内の人々の助命を乞うたのだが……。

秀吉はその申し出を無視し、非戦闘員も含め彼らを虐殺してしまう。女は磔にされ、子供は串刺しにされたという残忍さ。城主や城兵はともかく、非戦闘員まで根絶やしにしてしまうのは、いくら戦国の世とはいえあまりにひどい。主君・信長に勝るとも劣らぬ冷酷非情ぶりだ。

法橋玉山画『絵本太閤記』
法橋玉山画『絵本太閤記』3巻(国書刊行会)大正6年(1917)、 国立国会図書館デジタルコレクション

秀吉としては、「敵対すればこうなるぞ」と知らしめるため、敢えて行った虐殺だったのかもしれない。ただしそれは、逆効果だったのではないか。冒頭に挙げた別所長治の裏切りには、秀吉が別所家の婚姻や人事への介入が目に余るなど、複数の要因があったといわれる。そのひとつに、この戦後処理もあったといえなくはないだろうか。「これほど冷酷な男には、ついてゆくのは危険すぎる」と。

結果、別所長治に続いて、播磨の隣国・摂津せっつ(兵庫県南東部)でも荒木村重が織田から毛利へと寝返る。順調だった播磨平定戦は一転ピンチに。そしてやむなく、上月城を見殺しにせざるを得なくなってしまったのだ。

【図表2】戦国の城5技能「上月城」