「洋菜の三白」として一時代を築いたカリフラワー

この兄弟の運命が大きく動き出したのは、第2次世界大戦後。食生活の欧米化が進み、生野菜サラダを食べる習慣が日本に根付き始めると、先にスポットライトを浴びたのは弟のカリフラワーだった。

カリフラワーは、あの美しい純白の花蕾を保つためには、生育中に大きな外葉を内側に折って藁で縛り、直接日光が当たらないように大事に覆うという作業が必要となる手間のかかる野菜だが、1960年代、その美しい見た目と、マヨネーズによく合うほのかな甘みが日本人の心を掴んだ。カリフラワーはまたたく間に大衆化し、当時はホワイトアスパラガス、セロリとともに「洋菜の三白」と称され、洋食ブームの立役者として地位を築いたのである。

出荷間近のカリフラワー
筆者撮影
出荷間近のカリフラワー

一方のブロッコリーが普及しなかった理由としては、「常温輸送」という当時の物流事情があった。

常温輸送時代の厄介者

常温で運ぶのが当たり前だった時代、ブロッコリーは極めて「扱いづらい」野菜の筆頭だった。

ブロッコリーのつぼみは収穫後も激しく呼吸を続けており、常温下に置くとあっという間に代謝が進み、つぼみが開いて黄色く変色してしまう「黄化おうか現象」が起こる。鮮度劣化が非常に早いため、冷蔵技術が未発達だった当時は、産地から遠隔地へ新鮮なまま運ぶことが困難だったのである。

一方で、ライバルのカリフラワーは違った。同じ花蕾を食べる野菜でありながら、カリフラワーはブロッコリーに比べて代謝が比較的緩やかで、「常温輸送」でもあの白さと品質を一定期間保つことができた。この「輸送適性の高さ」こそが、冷蔵インフラが整っていなかった時代において、カリフラワーがブロッコリーに対し圧倒的なアドバンテージを持っていたわけだ。