富士山を庶民のものにした互助システム

江戸庶民にとって、富士登山のもう1つの難題がお金です。江戸に住む男1人が富士山に登って帰ってくる交通費だけで、2カ月分の米代と同じくらいの費用がかかりました。もちろんほかにもいろいろと経費がかかりますから、現代の貨幣価値に換算すると、1人約100万円になりますでしょうか。たいへんにお金のかかる旅です。

(PIXTA=写真)

そこで開発された資金の調達方法が、画期的でした。まず町内のお金持ちの名士、たとえば大店の主人にいくらか出資してもらう。そして、自分たちでも積み立てをする。みんなで少しずつお金を出し合い、貯蓄します。そして代表者が順番に富士詣でに出かける。個人で旅行代金を貯蓄しようとすれば長い年月がかかりますが、多くの人々が出し合えば、毎年代表者を送ることができます。現在でいえば、スポンサー制度と互助組合を組み合わせたようなものです。この画期的な経済システムによって、富士山は眺めて美しいだけではなく、自分や身近な人間が登ることのできる存在になったのです。

以上のような背景があって、江戸時代の中期になると、各地に冨士講が爆発的に増えていきました。多いときで400もの冨士講があったといいますから、現代の旅行代理店の比ではありません。正確な数など把握できませんが、「江戸八百八町に八百八講あり、講中八萬(まん)人」などと言われていたくらい。あくまで巡礼として富士詣でを許可した幕府も、江戸庶民の大いなるレクリエーションとして黙認していたフシがあります。

江戸の各地につくられて今でも数多く散見できる「富士塚」も、冨士講の副産物です。明治初期までは富士山は女人禁制であったり、病気など旅が困難な人が多く、そのような人のために、身近な場所に模倣富士山を築造して、誰でも富士参拝ができるように築いたのが富士塚でした。冨士講の代表を町々で見送った庶民たちは、富士塚で下山した人々を待ち受けました。まさに富士登山は、地域コミュニティをあげての一大行事だったのです。

(須藤靖貴=編集協力 原 貴彦=撮影 PIXTA=写真)
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