病弱だから生み出せた「サボる技術」

「自分は宇宙に生かされていると感謝する」なんてちょっとスピリチュアルなスパイスがきいた言葉ですら、幸之助にいわれると納得させられる自分がいる。

「そう、コスモのパワーが私たちを生かしてくれるんだ!」と明日から水素水をガブガブ飲んでもおかしくない。

つまり、松下幸之助とは「何をいってもありがたい御託宣に聞こえる神様」みたいな存在といっても言い過ぎではないのだが、興味深いのは、この神様、めちゃくちゃサボりたがりでもあった。

幸之助が「経営の神様」の地位を築けたのも、実は病弱だから生み出せた「意識的にサボる技術」と無縁ではなかった。体が動かないことと、戦略的に動かないことは違うが、幸之助は、前者から後者の価値を見出したのである。

19歳で吐血し、死を覚悟する

1894(明治27)年、幸之助は和歌山県の農家の末っ子として生まれる。「貧しい農家の生まれで苦労を重ねた」と生い立ちが語られがちだが、これはちょっと違う。生家は小地主で父親は村会議員も務めていた。

偉人の伝記によくある極貧家庭ではなかったが、父親には欠点があった。山っ気が強かったのだ。一攫千金を狙い、米相場で勝負に挑むが大失敗し、家を手放し、夜逃げ同然に一家でトンズラする。

壁の上に腰掛けている少年
写真=iStock.com/Muralinath
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そこで家族で下駄屋を始めるが、うまくいかない。食うのにも困り、幸之助は9歳で小学校を中退し、大阪の火鉢店に丁稚奉公に出る。朝から晩まで働き詰めの日々が続く。その後、自転車店、大阪電灯株式会社(現関西電力)へと職を変える。

一所懸命に働き、仕事ぶりは評価されていたが、いかんせん学がない。今以上に会社で出世するには学歴の壁は高かった。「あまり出世できないだろうな」と思っていると、血を吐く。19歳だった。すでに父母、兄弟が相次いで結核で亡くなっており、死を覚悟する。