小谷城は焼けなかった

これらの曲輪は、浅井氏が信長と敵対して以後、朝倉の技術によって築かれたと考えられている(最初に見た出丸も同様だ)。浅井父子と組んで信長に抵抗した朝倉氏の本拠地、越前(福井県北東部)の一乗谷(福井市)は、小谷落城に一足先んじて8月18日に信長軍の放火によって焼失。当主の朝倉義景は20日に切腹した。

その朝倉氏が最新技術で築いた曲輪が、小谷城の決戦でなんら役に立たなかったのは象徴的である。

ちなみに、朝倉氏の一乗谷は放火で燃え尽きたが、小谷城は焼けていない。発掘調査でも焼土の跡は一切出てきていない。だから、よく歴史ドラマで小谷城が焼け、その中から市や娘たちが救い出されるシーンがあるが、あれはウソである。彼女たちは少なくとも、火の気のない山道をとおって落ち延びた。

そして秀吉は、琵琶湖の岸辺に長浜城(長浜市)が完成するまで小谷城を使ったので、落城後も2年ほどは命脈を保ったこと。おそらくその後、建物を壊し、石垣を崩し、石の一部を長浜に運ぶなどして、小谷城は眠りについた。

さて、これだけ踏破するのに歩数計によれば、およそ1万8000歩、階段だけで2300歩ほど。あらためて戦国の人たちの健脚には恐れ入るばかりである。

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