市や茶々が生活していたと考えられる場所
城郭が築かれた馬蹄形の小谷山の南麓は、谷が深く入り込んでいる。ここ「清水谷地区」は今では木が生い茂り、地面は湿地のようにぬかるんでいるが(水が豊富に湧き出るようだ)、往時は道の両側に重臣の屋敷がズラリと並んでいた。
その一番奥は「御屋敷」と呼ばれる。もちろん浅井氏の当主の居館跡で、主に公的な接待などがここで行われたと思われる。足利義昭を饗応したのはここで、「豊臣兄弟!」第12回のように信長をもてなしたなら、やはりここだったのだろう。
案内板には「お市の方とその子供達もこの館で暮らしたと思われる」と書かれている。ここに暮らしたのか山上で暮らしたのか、説が分かれるが、浅井長政が信長に反旗をひるがえす前は、市や娘たちはここにいたのかもしれない。いまは鬱蒼たる森だが、そのころは木々が伐採され、光がよく差し込んだはずだ。
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