日本の軍備増強を中国共産党が懇願していた
【垂】ダマンスキー島事件では実際に実弾を撃ち合って、戦死者も出ましたからね。
【兼原】北京は満洲のすぐ下で、モンゴルは山の向こう側です。当時のソ連は米国と核で対峙する超大国で、文革で青息吐息の中国の敵ではない。そのソ連が本気で動員をかけてきた。
中国共産党はこれに震え上がって、(日中国交正常化を)一気呵成にやってくれ、今の日本では軍事力が小さくてソ連と戦えない、ソ連の覇権主義に対抗しろ、もっと軍事力を高めろ、防衛予算を増やせ、誇りを取り戻せ、北方領土を取り返せ、などと盛んに日本を煽っている。今と逆のことを言っていたんです(笑)。
【垂】当時の毛沢東からすれば、本当にソ連が怖かったんでしょうね。
当時、周恩来が外交全般を握っていました。外交部だけでなく、情報機関や新華社通信など、対外関係に関わる情報を包括的に把握していたのです。特に情報機関としては、現在の国家安全部の前身に当たる党中央調査部という組織が存在し、巨大な影響力を持っていました。この組織は政府機関ではなく党中央直属機関であったため、その権限は極めて大きなものでした。
創価学会と中国共産党の深いつながり
【垂】党中央調査部は大きく分けて2つの系統がありました。第一は国内系統・政治監視で、文革で悪名を馳せた康生が影響力を持っていました。
康生は党内の「反革命分子」「修正主義者」「走資派」を摘発する情報を収集し、毛沢東に報告することで粛清に関与していたのです。文革後期(林彪失脚後)には、「四人組」と協力して「批林批孔」を展開し、周恩来にも圧力を加えました。
第二は、対外情報の系統です。こちらは、周恩来が直接仕切っていました。重要な対外情報は周恩来のもとに集約され、とりわけ日本関係の情報は詳細に報告されていました。当時の中国は日本の動向を強く警戒し、非常に高い関心を寄せていたのですよ。
有名な話だと、国交正常化の前に竹入義勝公明党委員長が訪中し周恩来と面会したときの内容を「竹入メモ」として田中角栄に渡したことが知られていますが、それ以前から周恩来は公明党の支持母体である創価学会に関心を有していました。
1968年、池田大作創価学会会長が演説で日中国交正常化を提言していますが、こうした動きは随時、周恩来に報告されていました。つまり、当時の対日関係は周恩来の強い指示で一元的にコントロールされていたのです。
鄧小平ら党の実務派幹部は文革期に、この党中央調査部から厳しく監視・弾圧されました。そのため、毛沢東の死後に鄧小平が復権すると、党中央調査部は事実上解体され、1983年に国家安全部が新設されました。
国家安全部は国務院(政府)に属し、党中央直属だった調査部よりも格下の存在です。しかも、かつての調査部のように政敵を陥れる情報収集は行わないとされました。しかし、近年の習近平体制下では再びその役割が拡大しつつあり、現代的な意味で大きな問題となっています。

