若い頃に書いた本のほうがインパクトが大きい

私も例外ではない。読者からみて私の代表作はいつまでたってもデビュー作の『空白の五マイル』や40過ぎに出した『極夜行』だろう。

しかし、探検活動のスケールや深さ、質、あるいは文章の巧みさ、思考の深度など、そういうものがトータルでパッケージされたひとつの作品として考えると、私はいま手がけている『裸の大地』という作品のほうが上だと思っている。

そうであってほしいと願っている。そもそも昔よりよくなっていると思えなければ本なんか書けるものではない。

でも中身の深みや質と、読者にあたえるインパクトはたぶん別物で、一般的に若い頃に書いた本のほうがインパクトが大きい。そしてそれはなぜなのかと考えると答えは簡単で、作者に生き物としての勢いがあったからだ。

表現物というものは、内側からこみ上げてきて、自分で抑えようと思っても抑えきれない、そういう制御不能な得体のしれない衝動が肉体にみなぎり、溢れ出て、噴出し、それが原動力となってうみだされるものである。

ひと言でいえば内的エネルギーの湧出そのもの、つまり人の胸にとどくかどうかは内容よりパワー、というところがある。20代、30代にはこの勢いと鋭敏な感受性があるので、それがときに過剰なまでの熱さとなって、多くの人の感情をゆさぶる表現物を制作することができる。

そういう意味では自分の本のなかでは『極夜行』がそういう作品だったのだと思う。

生涯で最大の仕事になるはずだという確信

そもそも先ほど述べたように、人は30代に最高の作品をのこすことができるという確信をもっていた私は、極夜の探検というプロジェクト自体を人生最大の探検と位置づけていた。

極地では冬になると太陽が一日中地平線の下にしずむ季節、すなわち極夜がやってくる。朝から晩まで夜の闇に閉ざされた異様な環境である。

極地を堪能している人
写真=iStock.com/Kat Harrison
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この極夜という状況そのものを未知の対象ととらえ、これを探検し、本に著す、と考えるようになったのは随分昔の話で、いつだったのかもうあまりよくおぼえていないのだが、実際に準備・偵察活動をはじめたのが36歳の冬で、その後、さまざまな予備活動をへて40歳から41歳の冬に80日間にわたって暗黒世界を一頭の犬とともに旅したわけである。

そしてくりかえしになるが、出発前からこの探検が生涯で最大の仕事になるはずだし、そうしなければならない、なぜならこの旅が終わると自分は42歳、43歳と衰えてゆき、渋みが味の中年ロックバンドのようになり、質が高くても、熱さや勢いという点で最高の表現作品をものすることができなくなる、という切迫した焦りをかかえていたからだ。

で、実際に執筆にとりかかったときにどうだったかといえば、言葉が内側からドバドバ噴き出してきて、自分でもおさえることができないという感じであった。ある種のトランス状態のなかひたすらパソコンのキーボードを叩きつづける日々。

叩くと指先のリズムが脳に刺激を与え、それがまた言葉をうみだし、それが新たなリズムになってまた次の言葉を生産する……というつぎつぎになりゆくいきほひ的な無限サイクルのなかで文章がつづられてゆく。