「自称探検家・実質無職」に行き詰まり感
またしても自分の例で恐縮なのだが、私の場合、大学時代にだらだらと無為な時間を過ごしすぎたせいで大学卒業時の年齢は25歳、それからニューギニア探検隊に参加し、その後は土木会社でアルバイトをしながらツアンポー峡谷を単独探検するなどしてまた2年ほど根無し草生活をつづけ、27歳のときに突然一念発起して就職、新聞記者になったという経緯がある。
大学時代は絶対に就職だけはしないと類型的な人生をつっぱねていたのに、急に転向したのは、自称探検家・実質無職という現状に行き詰まり感があったからである。
とはいえ探検家の道をあきらめたわけでもなかった。なので就職したときは30歳という区切りを猛烈に意識していた。とりあえず30歳まで3年間記者をやってみて面白かったらそのままつづけて、やはり探検家のほうがいい、となれば退職してもとの生き方にもどればいい。記者か探検家か、30歳で決断する、というのがそのときの心境であった。
そして結果的に32歳のときに新聞社を退職して探検家の道を選択することになった。
人生という作品の完成度
新聞記者というのは社内自営業者のようなもので、持ち場の範囲内なら好きなことを取材できて面白かったし、会社員の仕事としてはかなり満足度の高い職業だとは思った。
それでも退職したのは、やはり探検して生きていったほうが愉快な人生になると考えたからだし、書くことが面白くなって新聞記事の執筆だけでは飽き足らなくなったこともある。
人生はそれ自体ひとつの作品である。もしこのまま記者職をつづけても、完全をめざさず中途半端に妥協することになるわけだから、私という人生の作品はそれほど完成度の高いものにはならないだろう。
私が本当に望んでいたのは記者をつづけることではなく、探検家としてツアンポー峡谷にもう一度挑み、それを新聞記事の定型文ではなく、自分の文章でひとつの物語としてまとめることだった。
と、このようにふりかえると、私の場合は、20代のときに築いた私なりのキャリア、すなわち探検家としてのキャリアと記者としてのキャリアを経験したことで、30歳のときに探検してそれを書くという私固有の新たな道が開けたわけである。
もちろん勝算などない。新聞記事を書いていたとはいえ、フリーの物書きとしてやってゆけるほどの文章力があるのか自信はなかった。ただリスクはあれど、人生の完成度という問題を考えると、腹をくくってその道をゆくのが正しい選択なのはまちがいない。

