NHK「豊臣兄弟!」では足利義昭が京都を追放され、室町幕府の滅亡が描かれた。過去の大河ドラマでは無能だったり、惨めな将軍などと描かれるが、実際はどうだったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
足利義昭像(古画類聚)松平定信(編)
足利義昭像(古画類聚)松平定信(編)〔写真=東京国立博物館/PD-Art (PD-Japan)/Wikimedia Commons

「無能な最後の将軍」のイメージが一新

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」は、順調に前半のクライマックスといえる本能寺の変に向けて、歩みを進めている。第16回(4月26日放送)では、織田信長(小栗旬)に命じられた明智光秀(要潤)が、藤吉郎(池松壮亮)とともに比叡山の焼き討ちを実行。今回は、信長の命令を守りながらも後悔を口にする光秀像が描かれた。

この第16回。さまざまな見せ場があったがもっとも存在感を発揮していたのは足利義昭(尾上右近)だと思う。なにしろ、信長の家臣でもあり、自身の家臣でもある光秀に「おまえは織田の中に深く入り込み、毒となれ」と命じていたのに一転、比叡山を焼き討ちした光秀を「いつからそのような外道に成り下がった‼」と叱責。そして「わしのもとに戻ってまいれ」とまで言い出したのである。

不本意とはいえ、城持ち大名になった光秀に感慨深げな一方で、信長に対しては怒りをあらわにする義昭。これまで、多くの作品で描かれた無能な最後の将軍というイメージが一新されている。

義昭は衰退した室町幕府の最後の将軍……すなわち、終止符を打つ役割を果たしたがために、幕府滅亡に導いた暗君のように扱われてきた。しかし、そもそも末期の歴代将軍たちのどうしようもなさが、あまり知られていなかっただけではないか。

“剣豪将軍”の13代義輝はひどい

室町幕府の10代以降の将軍を、ざっくり説明すると、こうだ。

10代・義稙は細川氏と対立して将軍の座を二度追われ、最後は阿波で客死。11代・義澄は義稙に将軍位をそのまま奪われて失脚死。12代・義晴は三好・細川の抗争に翻弄されて京都を何度も追われ、流転の末に死亡。14代・義栄に至っては、京都にすら足を踏み入れることができず、摂津の普門寺で将軍宣下を受けたまま病死している。

特に13代・義輝はひどい。

「剣豪将軍」というブランドイメージが強すぎて実態がぼやけているが、冷静に考えると、ひどい。大名に翻弄されて京都を何度も追われ、ようやく戻ってきたと思ったら暗殺される。しかも包囲してきたのは三好三人衆と松永久通の大軍である。それを相手にそこで名刀を並べて大立ち回りしたという逸話は熱いけど、要するに「逃げ場がなかった」だけの話だ。

現代の企業に置き換えれば、経営危機に陥った老舗企業の社長が、銀行や取引先に大勢で乗り込まれた末に、応接室で一人で暴れて死んだ、というだけの話である。カッコよく脚色されてはいるが、経営者としては完全に詰んでいる。

しかも、殺された理由も、三好長慶が死んだあと将軍権威の回復に動いたら逆に三好三人衆を刺激したというもの。タイミングも手順も全部裏目に出ている。