義昭には“何もない”
つまり「剣は強かったが、政治家としてはセンスがなさすぎて、最悪のタイミングで最悪の死に方をした将軍」それが義輝の実態である。
そう考えると、義昭がいかに傑出していたかがわかる。義昭の初期状態を、光栄(現・コーエーテクモゲームス)のシミュレーションゲーム『信長の野望』に置き換えて考えてみると、よくわかる。
『信長の野望』には、土佐一条氏とか、どう見ても詰んでいる弱小勢力がいくつも登場する。しかし、それでも、彼らには最低限「本拠地となる都市が一個」ある。兵力も資金も、ゲーム開始時には初期配分される。
義昭にはそれすらない。
本拠地:なし。兵力:ゼロ。資金:ゼロ。配下武将:ほぼゼロ。なのに、敵対勢力欄だけがズラッと並んでいる。もはや、シナリオとして成立していないレベルといえるだろう。
それでも一応、将軍家の生まれではある。第12代将軍・足利義晴の次男、母は近衛尚通の娘・慶寿院という出自は史料でも確認できる(久野雅司『足利義昭と織田信長 傀儡政権の虚像』戒光祥出版、2017年)。
しかし、義昭のライフプランに「将軍」など、最初から存在していなかった。
僧侶として生きる道が“兄死亡”で一転
足利将軍家には、家督相続者以外の子息は出家させるという慣習があった。義昭はその慣習通り、6歳にして法名・覚慶として出家。興福寺の一乗院門跡となり、いずれは興福寺の別当に就くのが予定されていたライフプランだった。要するに、朝廷とも繋がりの深い、伝統ある奈良のお寺で修行して、順当に偉いお坊さんになっていく人生のはずだった。
そのライフプランは兄・義輝が殺されたことで完全に狂う。しかも義昭自身も巻き込まれ、興福寺に幽閉・監視される羽目になる。「なんで俺まで?」である。お坊さんである。完全に無関係のはずだった。
しかも脱出の経緯がさらに混乱に拍車をかける。細川藤孝の画策により、番兵に酒を飲ませて酔わせ、義昭を逃がしたとされている。つまり義昭本人が脱出を計画したというより、周囲が「この人を将軍にしたい」という都合で動いて、気づいたら逃がされていたのだ(奥野高広『足利義昭』吉川弘文館、1990年)。
本人の心境を想像するとこうなる。
「え、兄上が殺された……俺も捕まった……なんで? 俺、お坊さんなんですけど……え、逃げるの? どこに? 近江? 将軍? 俺が???」
確かに興福寺は武装勢力だし、一乗院は朝廷とも関係が深い、宗教エリートの養成機関でもあった。しかしそれでも、ある日突然「お前が次の将軍だ」といわれた混乱は、想像に難くない。

